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5月7日は何の日?

6件の記念日があります

コナモンの日(粉の日)食べ物・飲み物

制定:日本コナモン協会(2003年)

由来・理由

「こ(5)な(7)もん」と読む語呂合わせから5月7日を制定。大阪に本部を置く日本コナモン協会が、たこ焼き・お好み焼き・うどんなどの「粉もの」文化の普及と振興を目的として2003年に制定した記念日。

雑学・小話

「コナモン」とは小麦粉や米粉などを主原料とした料理の総称で、たこ焼き・お好み焼き・うどん・そば・ラーメン・パンなど幅広い食品を指す。特に関西文化の象徴とされ、「大阪人の家にはたこ焼き器がある」という俗説が生まれるほど日常に根付いている。日本コナモン協会は文化研究・普及イベントを毎年この日に合わせて開催しており、「コナモン」は海外でも「Japanese Konamono」として紹介されるなど国際的な認知度も高まっている。

博士の日文化・芸術

由来・理由

1888年(明治21年)5月7日、日本で初めて博士号が授与された日を記念している。このとき25名が「博士」の称号を授与され、植物学者の伊藤圭介・数学者の菊池大麓・物理学者の山川健次郎らが含まれていた。

雑学・小話

日本の学位制度は1887年(明治20年)の「学位令」によって定められ、翌5月7日に初めての博士号が授与された。当初の博士号は大学院修了ではなく、学術・芸術で著しい功績を上げた人物に贈る「名誉称号」的な性格が強かった。その後制度は改訂を重ね、現在は大学院博士課程での研究成果に基づき授与される「課程博士」が主流。日本の博士号取得者数は近年増加傾向にあるものの、欧米と比べると人口比での取得率はまだ低く、研究人材育成が課題とされている。

ブラックモンブランの日食べ物・飲み物

制定:竹下製菓株式会社(2019年)

由来・理由

1969年5月7日に佐賀県の竹下製菓が発売したアイスバー「ブラックモンブラン」の誕生日を記念して、発売50周年の2019年に日本記念日協会が認定した記念日。

雑学・小話

ブラックモンブランはチョコレートコーティングの下にクランチが入った独特の食感が特徴のアイスバーで、九州地方では圧倒的な知名度を誇る「九州のソウルフード」として愛されている。商品名はヨーロッパアルプス最高峰「モンブラン」に由来する。全国区の知名度は低いが、九州出身者が各地に散らばる中で「ブラックモンブランを知っているか」という話題は一種の「九州あるある」として親しまれている。発売から半世紀以上たった現在も製造販売を続け、ロングセラー商品として第2・第3世代のファンを生み続けている。

世界エイズ孤児デー社会・国際

由来・理由

HIV/AIDSによって親を失った子どもたちへの支援意識を高めるため、2002年に国際的に制定された啓発デー。毎年5月7日に世界各国でイベントや啓発活動が行われる。

雑学・小話

世界エイズ孤児デーは、HIV/AIDSで親を失った子どもたちの現状を世界に伝えるための国際的な記念日。UNAIDS(国連合同エイズ計画)によると、AIDSにより親を失った子どもはサブサハラアフリカを中心に多数に上るとされる。これらの子どもたちは経済的困窮だけでなく、社会的偏見や教育機会の喪失といった複合的な問題に直面することが多い。日本では直接的な被害は少ないものの、国際支援や啓発活動を通じてこのデーへの関心が高まっており、学校や市民団体によるイベントが開催されることもある。

ソニー創立の日(東京通信工業設立の日)企業・業界

由来・理由

1946年5月7日、井深大と盛田昭夫を中心として東京・日本橋に「東京通信工業株式会社」が設立された日。後にソニー株式会社へと改称し、日本を代表するグローバル企業へと成長した。

雑学・小話

東京通信工業は設立資本金19万円・従業員約20名という小さなスタートだった。創業者の井深大は設立趣意書に「自由闊達にして愉快なる理想工場」という言葉を記し、技術者が伸び伸びと研究に打ち込める環境づくりを目指した。1955年に「SONY」ブランドを採用し、1958年に社名をソニー株式会社に変更。1979年に発売した携帯型音楽プレーヤー「ウォークマン」は音楽の楽しみ方を世界規模で変え、製品名が英語辞典に載るほど文化的影響を与えた。現在はエレクトロニクスから映画・音楽・ゲームまで幅広い事業を展開するグローバル企業に成長している。

ベートーヴェン第九交響曲初演の日文化・芸術

由来・理由

1824年5月7日、オーストリア・ウィーンのケルントナートーア劇場でベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調(作品125)が世界初演された日。「歓喜の歌」として知られる第4楽章は現在も世界中で愛されている。

雑学・小話

ベートーヴェンが第9番を完成させたとき、彼はすでに完全に聴力を失っていた。初演当日、指揮台に立ったベートーヴェンは演奏のテンポを示す役割に留まり、実際の指揮はミヒャエル・ウムラウフが担当したとされる。演奏終了後、聴衆が総立ちで喝采を送る中、耳が聞こえないベートーヴェンは気づかずに楽譜を見続け、ソリストに肩を叩かれて振り向いて初めて観客の反応を目にしたという逸話が残っている。第4楽章に使われたシラーの「歓喜に寄せて」は現在EU(欧州連合)の歌としても採用されており、国境を超えた人類の連帯を象徴する楽曲となっている。

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