6月2日は何の日?
5件の記念日があります
由来・理由
1858年(安政5年)に締結された日米修好通商条約に基づき、1859年(安政6年)6月2日に横浜港が国際貿易港として開港した日。翌1860年から地域ぐるみで開港を祝う行事が始まり、横浜市の記念日として定着した。
雑学・小話
日米修好通商条約では開港地として「神奈川」と定められていたが、幕府は東海道の宿場町・神奈川宿に外国人が入ることを嫌い、街道から離れた漁村にすぎなかった横浜を「神奈川在横浜」と称して開港地に充てた。諸外国は条約と異なると抗議したが、幕府は築港を強行した。こうして急造された横浜は、わずか数十年のうちに外国人居留地・商館・洋館が立ち並ぶ日本屈指の国際都市へと変貌した。ガス灯・アイスクリーム・競馬・ビールなど、多くの「日本初」が横浜から広まったとされ、文明開化の玄関口となった。現在6月2日は横浜市の「開港記念日」として市内の学校が休校になる。中区の開港広場公園には「日米修好通商条約締結の地碑」があり、港の歴史を今に伝えている。
由来・理由
1582年(天正10年)旧暦6月2日、明智光秀が主君・織田信長を京都の本能寺に急襲した「本能寺の変」が起きた日。家臣による主君への謀反という「裏切り」の象徴的事件として、この日が「裏切りの日」と呼ばれるようになった。
雑学・小話
本能寺の変は、天下統一目前だった織田信長が腹心の家臣・明智光秀に攻められ、火中で自害したとされる日本史上最大の謀反事件。光秀の動機については「怨恨説」「野望説」「四国説」「黒幕説」など数十の説が存在し、440年以上経った現在も完全には解明されていない。「敵は本能寺にあり」という言葉は当時の史料には存在せず、後世の創作とされるが、事件の衝撃を物語る言葉として広く定着した。信長の死の報を聞いた羽柴秀吉(豊臣秀吉)は「中国大返し」で電光石火に戻り、わずか11日後の山崎の戦いで光秀を討った。光秀の天下は「三日天下」と呼ばれる。この事件により信長の覇業を引き継いだ秀吉が台頭し、戦国乱世の終焉へと繋がった。近年の大河ドラマや小説で光秀を主人公にした作品が増え、謀反の謎を巡る議論は今も続いている。
制定:横濱カレーミュージアム(2001年)
由来・理由
1859年(安政6年)6月2日の横浜港開港と同時にカレーが日本に入ってきたという説にちなみ、2001年(平成13年)に横濱カレーミュージアムが制定。横浜をカレー文化の発祥地として位置づけ、カレーの普及と食文化の発展を目的とする。
雑学・小話
カレーはインドからイギリスに伝わり、イギリス海軍の食事として定着した後、幕末の開港期に横浜経由で日本へ入ってきたとされる。カレーという言葉の初出は福沢諭吉の『増訂華英通語』(1860年)で、「コルリ」と記されている。明治時代には西洋料理として高級なイメージがあったが、大正以降に安価なカレー粉が普及し、大衆食として根付いた。戦後、ハウス食品やエスビー食品などが固形ルウを開発し「5分でできるカレー」として家庭料理の定番になった。現在、日本のカレーはインド・タイのカレーとは別物の「第三のカレー」として世界的に認知されつつある。カレーうどん・カレーパン・スープカレーなど日本独自の変形も多い。文部科学省の調査では、学校給食の人気メニュー1位に長年君臨するほど国民食として定着している。横浜の元町・中華街周辺には今も個性的なカレー店が多く、開港以来の食文化の多様性を体現している。
制定:下諏訪の路地を歩く会
由来・理由
「ろ(6)じ(2)」の語呂合わせから、長野県下諏訪町の有志グループ「下諏訪の路地を歩く会」が制定。かつて中山道と甲州街道の合流点として栄えた宿場町・下諏訪の路地を愛し、その風情を守り続けることを目的とする。
雑学・小話
路地(ろじ)とは、建物の間を縫うように伸びる細い通り道のことで、表通りとは異なる生活の匂いや風情が残る場所だ。中山道と甲州街道が交わる長野県下諏訪町には、江戸時代の宿場の面影を色濃く残す路地が今も多く残っており、諏訪大社の御柱祭などの行事とともに地域のアイデンティティとなっている。路地は単なる通路ではなく、かつては子どもたちの遊び場であり、隣人が行き交う社交の場であり、生活共同体の血管のような存在だった。都市再開発の波で路地が次々と消えていくなか、その文化的・コミュニティ的価値を見直す動きが各地で生まれている。東京の神楽坂・谷中・向島、京都の花街、大阪のミナミなど、路地が残る町には独特の情緒があり観光資源にもなっている。「路地の日」は特定の自治体や企業ではなく、地域住民の草の根活動から生まれた記念日として、路地という日本の生活文化を次世代に伝えようとする思いを体現している。
由来・理由
1946年6月2日、イタリアで「王政か共和政か」を問う国民投票が実施され、共和政への移行が決定した日。同日には制憲議会選挙も行われ、国民が初めて普通選挙権(女性参政権を含む)を行使した日でもある。イタリアの最重要国民祝日として現在も祝われている。
雑学・小話
1946年の国民投票は、第二次世界大戦でムッソリーニのファシスト政権・枢軸国として敗戦したイタリアが、新たな国家体制を選ぶ歴史的な選択だった。投票結果は共和政支持が約54%で王政支持を上回り、サヴォイア家の王政は廃止された。敗戦国が国民投票で自らの政治体制を選んだことは、当時の国際社会でも注目を集めた。また、この選挙はイタリア女性が初めて参政権を行使した日でもある。王政廃止を決めた国王ウンベルト2世はポルトガルへ亡命し、2世の死後50年以上にわたって旧王家の男性はイタリアへの入国を禁じられた(禁止令は2002年に撤廃)。現在「共和国の日(Festa della Repubblica)」は日本でいう建国記念日に相当するイタリア最大の祝日で、ローマのヴェネツィア広場では大統領主催の式典や軍事パレードが盛大に行われる。