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61日は何の日?

5件の記念日があります

気象記念日自然・環境

制定:気象庁(1942年)

由来・理由

1875年(明治8年)6月1日、内務省地理寮に「東京気象台」が設立されてわが国初の気象・地震観測業務が開始されたことを記念して1942年(昭和17年)に制定。現在の気象庁の前身にあたる東京気象台が東京府虎ノ門に置かれ、組織的な気象観測がスタートした日として位置づけられている。

雑学・小話

東京気象台が業務を開始した1875年当時、観測を担ったのはイギリス人のジョイネル(Henry Bateman Joyner)ただ1人だった。1日3回の気象観測に加えて地震が起きるたびに地震計のもとへ駆けつけるという激務を一手に引き受け、ようやく9月になって日本人スタッフが加わった。東京気象台はその後1887年(明治20年)に「中央気象台」へ改称し、1956年(昭和31年)には現在の「気象庁」へと昇格した。現在の気象庁は全国約1,300か所のアメダス(地域気象観測システム)を運用し、5日先の天気や台風進路予測を提供している。日本は地震・台風・豪雪など自然災害が集中する国として、世界有数の気象技術を独自に発展させてきた歴史がある。現代では数値予報モデルによる精緻な予測のほか、線状降水帯の検知や南海トラフ地震への監視強化など気象業務の範囲は拡大し続けている。6月は「気象月間」とも定められており、各地で気象に関する展示・講座が開催される。空を見上げて毎日記録を続けた150年の蓄積が、今日の防災インフラの礎となっている。

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電波の日社会・国際

制定:電波監理委員会(現・総務省)(1951年)

由来・理由

1950年(昭和25年)6月1日に電波法・放送法・電波監理委員会設置法の「電波三法」が同時施行されたことを記念して、翌1951年に電波監理委員会(現・総務省)が制定。電波という有限の公共資源の公平かつ能率的な利用を確保するための法体系が整備された日として位置づけられる。

雑学・小話

電波三法が施行された1950年は、日本のラジオ・テレビ放送が急速に発展した時代の幕開けだった。放送法により民間放送の設立が認められ、1951年には初の民間ラジオ局が開局、1953年にはNHKがテレビ放送を開始した。「電波は有限の公共資源」という考えのもと、使用には免許・登録が必要で、無断の不法電波発射(不法無線局)は電波法で厳しく規制されている。電波監理委員会は1952年に廃止されて郵政省が業務を引き継ぎ、現在は総務省が電波行政を担う。現代では電波はテレビ・ラジオにとどまらず、携帯電話・Wi-Fi・GPS・気象レーダー・航空管制など生活のあらゆる場面を支える社会インフラとなった。5G(第5世代移動通信)の普及と次世代通信への技術開発が進む現在、電波帯域の割り当てと管理はますます重要な政策課題となっている。6月1日から10日は「電波利用保護旬間」として、不法電波の取り締まりや電波利用のルール周知活動も強化される。

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写真の日文化・芸術

制定:日本写真協会(写真の日制定委員会)(1951年)

由来・理由

1902年の新聞連載「日本写真の起源」などの文献をもとに、1841年(天保12年)6月1日に上野俊之丞が薩摩藩主・島津斉彬を撮影したのが日本初の写真とされたことから、日本写真協会が1951年(昭和26年)に制定。後に日付が誤りと判明したが、すでに広く定着していたためそのまま維持されている。

雑学・小話

写真の日の根拠となった「1841年6月1日」説は、後の調査で誤りと判明している。正確には1857年(安政4年)9月17日に薩摩藩士らが藩主・島津斉彬を撮影したのが日本初の写真とされており、制定から時間が経過していたため6月1日がそのまま「写真の日」として定着した。「間違いと知りながら続けている記念日」として知る人ぞ知るトリビアになっている。日本への写真術の伝来は19世紀中ごろで、フランス人ダゲールが1839年に発表したダゲレオタイプ(銀板写真)が数年後に長崎を経由して伝わったとされる。当初は藩主や高官の肖像を撮るための高価な技術だったが、明治以降は次第に庶民にも普及。フィルムカメラが大衆化した昭和時代を経て、2000年代にはデジタルカメラへ、さらに現代ではスマートフォンの普及により誰もがいつでも高品質な写真を撮れる時代になった。毎年写真の日には日本写真協会によるアワードや「東京写真月間」など各種イベントが開催されている。

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真珠の日文化・芸術

制定:一般社団法人・日本真珠振興会

由来・理由

6月の誕生石が真珠(パール)であることにちなみ、日本真珠振興会が6月1日を「真珠の日」として制定。真珠の美しさと価値を国内外に広く普及させ、日本の真珠産業の振興を図る記念日として設定された。

雑学・小話

真珠は貝類が体内に侵入した異物を包み込もうとして分泌する真珠層(炭酸カルシウム)が幾重にも積み重なって生まれる宝石で、生体が作り出す唯一の宝石ともいわれる。天然真珠は古来から「海の宝石」として珍重されてきたが、入手が非常に困難だった。その歴史を変えたのが三重県出身の実業家・御木本幸吉(みきもと こうきち)で、1893年(明治26年)に世界で初めて養殖真珠の半円珠の生産に成功し、1905年には完全な球形の養殖真珠を実現した。「うどん屋の息子が宝石を量産した」革命として世界を驚かせ、現在のMIKIMOTOブランドの礎となった。日本はアコヤ真珠の主要産地で、愛媛・長崎・三重を中心に養殖が盛んに行われており、その品質の高さで世界的な評価を受けている。6月は「ジューン・ブライド」の月でもあり、結婚祝いや誕生石としての需要が高まる季節。石言葉は「健康・長寿・富」で、世界的にも格調高い宝石として愛されている。

チューインガムの日食べ物・飲み物

制定:日本チューインガム協会(1994年)

由来・理由

平安時代の宮廷行事「歯固め(はかため)」に由来する。正月と6月1日(旧暦)に鏡餅や大根・押し鮎など固い食べ物を噛んで長寿と健康を祈るこの風習にちなみ、日本チューインガム協会が1994年(平成6年)に制定。「噛む」ことの大切さを再認識する記念日として日本記念日協会が認定している。

雑学・小話

「歯固め」の「歯(は)」は古語で「齢(よわい)=年齢」を意味し、歯を丈夫にすることが長寿につながるという考えが背景にある。正月と旧暦の6月1日に固いものを噛んで健康を祈る宮廷の儀礼が、チューインガムの記念日として現代に受け継がれた。日本にチューインガムが初めて輸入されたのは1916年(大正5年)で、1928年(昭和3年)には初の国産ガムが製造販売された。その後ガム市場は急成長し、1980〜90年代には機能性ガム(眠気防止・口臭ケア・歯を白くするガムなど)が次々と登場した。現代の歯科学では「よく噛む」ことが唾液分泌の促進・消化促進・脳の活性化・集中力の向上などに寄与すると示されており、スポーツ選手がガムを噛みながらプレーする姿もその効果を期待してのことだとされる。ガムはチューイング(咀嚼)という行為そのものを楽しむ珍しい菓子カテゴリーで、古来の「歯固め」という儀礼が形を変えて現代に生き続けているともいえる。

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