6月25日は何の日?
5件の記念日があります
由来・理由
1959年(昭和34年)6月25日、後楽園球場で行われた読売巨人軍対阪神タイガース戦に昭和天皇・皇后両陛下が臨席した。プロ野球史上初の天覧試合となったこの一戦で、9回裏に長嶋茂雄がサヨナラ本塁打を放ち5対4で巨人が劇的な勝利を収めた。両陛下が球場を後にする制限時刻の3分前という幕切れだった。
雑学・小話
試合は先発・巨人の藤田元司と阪神の小山正明という両エース対決でシーソーゲームが展開された。7回裏にはルーキー・王貞治が同点2ランを放ち、のちに「ON砲」と呼ばれる二人が同じ試合で本塁打を打った最初の試合となった。4対4の同点で迎えた9回裏、長嶋茂雄がエース村山実からレフトポール際へのサヨナラ本塁打を叩き込んで試合を締めくくった。両陛下の観戦終了時刻は21時15分と決まっており、21時12分の劇的な幕切れは球場を沸騰させた。この試合は昭和プロ野球史上最大の名勝負として語り継がれ、長嶋茂雄の「ミスタープロ野球」としての地位を決定づけた。試合後に長嶋は「この感激は一生忘れないでしょう」と語り、対戦相手の村山実も「あの弾道が今でも脳裏によみがえる」と後年述懐している。
制定:全国建設労働組合総連合(1978年)
由来・理由
スペインの天才建築家アントニオ・ガウディの誕生日(1852年6月25日)にちなんで、全国建設労働組合総連合が1978年に制定。住宅建築に携わる大工・左官・板金など各職種の職人の仕事と技能をPRし、より多くの人に理解してもらうことを目的とする。
雑学・小話
アントニオ・ガウディ(1852〜1926年)はカタルーニャ州レウス生まれのスペインの建築家。直線をほとんど使わない曲線美と自然界の形態を取り入れた独自の建築様式は「ガウディ様式」と呼ばれ、生前から高く評価された。代表作のサグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)は1882年に着工されたが、ガウディは1926年にバルセロナ市内で路面電車にはねられ73歳で没した。その後も建設は弟子たちに受け継がれ、現在も工事が続く「世界一有名な未完の建築」として知られる。グエル公園・カサ・ミラ・カサ・バトリョなど7件のガウディ建築がユネスコ世界遺産に登録されている。日本の建設労働者の組合が欧州の建築家の誕生日を記念日に選んだのは、石・木・鉄を素材に手仕事で空間を作り上げるという職人精神の象徴として、ガウディが理想の存在だったからとされる。
制定:月桂冠株式会社(2018年)
由来・理由
1984年6月25日、月桂冠株式会社が超精密ろ過技術を応用して業界で初めて常温流通が可能な「生酒」を発売したことにちなんで制定。生酒の美味しさと日本酒文化の普及を目的とし、2018年に日本記念日協会が認定・登録された。
雑学・小話
生酒とは、火入れ(加熱殺菌)処理を一切行わない日本酒のこと。酵素が生きたままのため、フレッシュでフルーティーな香りとまろやかな甘みが特徴だ。しかし従来の生酒は温度管理が難しく、品質劣化を防ぐために冷蔵での流通・保管が必要だったため、流通範囲に限界があった。月桂冠が開発した超精密ろ過技術は、雑菌や酵素を除去することで常温での品質保持を可能にし、日本全国への安定供給を実現した。これにより生酒は夏の食卓を彩る定番酒として全国的に普及した。月桂冠は1637年(寛永14年)創業、京都伏見に本拠を置く老舗酒造で、「月桂冠」の銘柄名は勝利と栄光の象徴であるギリシャ神話の月桂樹の冠に由来する。現在では「生」「生貯蔵酒」「生一本」など生酒のカテゴリーも多様化し、地酒ブームとも相まって根強い人気を誇っている。
制定:ちふれホールディングス株式会社(2014年)
由来・理由
1974年6月25日、第1次オイルショックによる原材料高騰の中、価格維持と省資源を目的としてちふれ化粧品が業界初の詰め替え化粧品を発売したことにちなんで制定。詰め替え文化の普及とエコ意識の啓発を目的とし、2014年に日本記念日協会が認定・登録された。
雑学・小話
ちふれ化粧品(現ちふれホールディングス株式会社)は1968年、埼玉県川越市に「より多くの女性に高品質な化粧品を届けたい」という理念で設立された。当時は輸入化粧品が高級品とされる時代に、国産品を低価格で提供する姿勢が支持を集めた。1974年の詰め替え容器発売は、石油危機による包材コスト上昇への対策として生まれたが、消費者が使い終わった容器を再利用できる環境配慮の仕組みとしても画期的だった。現在では洗剤・シャンプー・リンス・ハンドソープなど日用品全般に詰め替えパックが当たり前のように普及しているが、その源流は50年以上前のちふれの一つの判断にある。プラスチック削減やSDGsが叫ばれる現代では、時代を先取りした先駆的な取り組みとして改めて評価されている。
制定:一般社団法人全日本指定自動車教習所協会連合会
由来・理由
1960年(昭和35年)6月25日、道路交通法改正法が施行され、公安委員会が指定する自動車教習所を卒業すると運転免許取得に必要な技能試験が免除される「指定教習所制度」が始まったことにちなんで制定。「む(6)じ(2)こ(5)」(無事故)の語呂合わせでもある。
雑学・小話
戦後の高度経済成長期、日本の自動車保有台数は急速に増加した。1955年に約16万台だった乗用車保有数は1960年代に入ると年々倍増し、それに伴い交通事故死者数も激増。1959年には年間交通事故死者数が初めて1万人を突破し、「交通戦争」という言葉が使われるようになった。こうした社会問題に対処するため、運転技能の質を保証する指定教習所制度が整備された。卒業検定に合格すれば免許センターでの技能試験が免除される仕組みにより、教習所に通うことが免許取得の標準ルートとなった。現在では全国に約1,300か所の指定自動車教習所があり、毎年約200万人が卒業している。普通免許取得者の99%以上が指定教習所を経由して免許を取得しており、日本の交通安全教育の根幹を支える存在となっている。