8月30日は何の日?
7件の記念日があります
由来・理由
1895年(明治28年)8月30日、気象学者の野中到(のなか いたる)が私財を投じて富士山の頂上に測候所を建て、その完成を中央気象台に伝えたことにちなむとされる。
雑学・小話
富士山の頂は、夏でも気温が低く、冬は猛烈な寒さと強風にさらされる、人が暮らすにはきわめて厳しい場所だとされる。そのような頂上で気象を観測すれば、天気の変化をより早くとらえられるのではないか――そう考えた一人の気象学者が、自ら測候所を築いたと伝えられる。 野中到は、完成した測候所にこもり、妻とともに冬の観測に挑んだといわれる。しかし、酷寒と高所のきびしさから体調を崩し、越冬の試みは半ばで中断せざるをえなかったとされる。それでも、この挑戦は山頂での気象観測の先がけとして語り継がれている。 のちに富士山頂には正式な観測の拠点が設けられ、長く気象や大気の観測に役立てられた。この記念日は、過酷な自然に立ち向かいながら天気のしくみに迫ろうとした人々の情熱と、その歩みに思いをはせる一日といえる。
由来・理由
1945年(昭和20年)8月30日、連合国軍最高司令官のマッカーサーが、神奈川県の厚木飛行場に降り立ったことにちなむ。太平洋戦争の終結後、日本が連合国の占領のもとで歩み始める節目となった出来事とされる。
雑学・小話
太平洋戦争が終わったのち、日本は連合国による占領のもとに置かれることになったと伝えられる。その占領政策の中心となる最高司令官が日本の地に降り立ったのが、この日だったとされる。 この日を境に、日本はさまざまな改革のなかで、新しい国のかたちへと移り変わっていった。憲法の制定をはじめ、政治や社会のしくみが大きく見直され、戦後の歩みが本格的に始まっていったといわれる。占領の時代は、その後数年にわたって続いた。 戦争から平和へ、そして新しい時代へと移る大きな転換点として、この出来事は記憶されている。この記念日は、戦後の日本がどのような道を歩み始めたのかをふり返り、平和の意味を考えてみる一日といえる。
由来・理由
8月30日に冒険的な偉業が重なることにちなむ。1965年のこの日に同志社大学の遠征隊が南米アマゾン川の源流域をボートで下り、1989年のこの日に海洋冒険家の堀江謙一がヨットによる太平洋単独往復を成し遂げたとされる。
雑学・小話
冒険とは、危険や困難を承知のうえで、まだ見ぬ世界や、だれも成し遂げていない目標に挑むことだとされる。地図の空白を埋めるような探検から、大海原をひとりで渡る航海まで、その形はさまざまだが、未知に立ち向かう勇気という点では共通している。 この日に重なった偉業も、大河の源流を下り、広大な海をひとりで往復するという、容易ではない挑戦だったと伝えられる。周到な準備と強い意志、そして自然と向き合う覚悟があってこそ成し遂げられたものとされる。 冒険家たちの挑戦は、結果の大きさだけでなく、夢に向かって一歩をふみ出す姿そのものが、多くの人を勇気づけてきた。この記念日は、未知へと挑む心に目を向け、自分にとっての小さな挑戦について考えてみる一日といえる。
由来・理由
紛争や人権侵害などによって行方が分からなくなった人々への関心を高めるための国際デー。1981年にコスタリカで創立した非営利団体「ラテンアメリカ収監者・失踪者親族連帯財団」の働きかけにより広まり、「強制失踪の被害者のための国際デー」とも呼ばれる。
雑学・小話
世界には、紛争や弾圧などのなかで、ある日突然行方が分からなくなり、その後の消息がつかめないままの人々がいると伝えられる。残された家族は、生死さえ分からないまま、長い年月を不安のなかで過ごすことになるとされる。 この国際デーは、そうした人々の存在を忘れず、真実を明らかにすることや、家族の苦しみに目を向けることを呼びかけるものとされる。人がその意思に反して連れ去られ、消息を絶たれることは、重大な人権の問題として国際社会でも取り組まれてきた。 遠い国の出来事のように思えても、人の尊厳や安全に関わる問題は、だれにとっても無縁ではない。この記念日は、声を上げられない人々や、その帰りを待ち続ける家族に思いをはせ、人権について考えてみる一日といえる。
由来・理由
「ハッ(8)ピーサンシャイン(30)」と読む語呂合わせにちなむ。太陽のような明るい笑顔で過ごせば、幸せな気分になれるという思いがこめられた日とされる。
雑学・小話
明るい笑顔は、その人自身の気持ちを前向きにするだけでなく、まわりの人にもあたたかさを伝えるとされる。太陽の光が降りそそぐように、笑顔は人から人へと広がっていく――そんな思いが、この記念日の名前には込められているといわれる。 うれしいことがあるから笑うだけでなく、笑顔でいることで気持ちが明るくなることもあるとされる。ちょっと口角を上げてみる、あいさつに笑顔をそえる――そうした小さなことが、その日の空気をやわらげてくれることもある。 うまくいかない日や、気分の晴れない日もある。それでも、ふと笑顔を思い出すことが、心を軽くするきっかけになるかもしれない。この記念日は、太陽のような笑顔で一日を過ごしてみようと呼びかける、明るい気持ちにさせてくれる日といえる。
由来・理由
「ヤ(8)ミ(3)金ゼロ(0)」と読む語呂合わせにちなむ。法外な高金利で貸し付ける違法な貸金業(ヤミ金融)の怖さを知ってもらい、その被害をなくすことを目指して定められたとされる。
雑学・小話
ヤミ金融とは、法律で定められた上限をはるかにこえる高い金利でお金を貸し付ける、違法な貸金業のことだとされる。お金に困った人につけこみ、いったん借りると返済が雪だるま式にふくらみ、抜け出せなくなってしまう怖さがあると伝えられる。 きびしい取り立てによって、生活や心が追いつめられてしまう人もいるといわれる。困っているときほど、うまい話に見えてしまうこともあるが、正規の手続きを経ていない貸付には大きな危険がひそんでいるとされる。 この記念日は、ヤミ金融の手口や危うさを知り、被害を防ぐことを呼びかけるものとされる。お金の問題で困ったときには、一人で抱えこまず、公的な窓口など信頼できる先に相談することが大切だ。この記念日は、身を守るための知識に目を向ける一日といえる。
制定:中津魚市場(2021年)
由来・理由
大分県中津市で水揚げされるハモの魅力を広めるために2021年に制定されたとされる。「8月はハモ、30の『3』を回すと『m』のように見え、『m』と『0』で『モ』」と読む語呂合わせにちなむ。
雑学・小話
ハモは、細長い体をもつ魚で、小さなほねが多いため、「骨切り」とよばれる細かな包丁さばきをほどこして調理されることで知られる。手間をかけて下ごしらえされたハモは、ふんわりとした上品な味わいになり、夏を代表する食材のひとつとされる。 大分県の中津は、ハモの産地として知られる土地だと伝えられる。湯引きにして梅肉でさっぱりと味わったり、鍋や天ぷらにしたりと、さまざまな料理で楽しまれてきた。暑い時期に食が進む味わいとして、地域の食卓を彩ってきたとされる。 この記念日には、地元でとれるハモのおいしさを多くの人に知ってもらいたいという思いがこめられている。骨切りという職人の技に支えられた味わいは、その土地ならではの食文化でもある。夏の魚の魅力に、あらためて目を向けてみる一日といえる。