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512日は何の日?

5件の記念日があります

看護の日(ナイチンゲール記念日)健康・医療

由来・理由

近代看護の母とされるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日(1820年5月12日)に由来する。1991年に厚生省(現・厚生労働省)が「看護の日」として制定した。

雑学・小話

ナイチンゲールはクリミア戦争(1853〜1856年)で従軍看護師として負傷兵のケアにあたり、衛生状態の改善で死亡率を大幅に下げた。夜間も病棟を回る姿から「ランプを持つ女性(Lady with the Lamp)」と呼ばれた。彼女が創設した看護学校はロンドンのセント・トーマス病院に今も存続している。毎年5月12日前後の1週間は「看護週間」として、看護職への感謝と理解を促すイベントが各地で開催される。

パンの日食べ物・飲み物

制定:パン食普及協議会(1982年)

由来・理由

天保13年4月12日(旧暦・1842年)に伊豆韮山代官・江川太郎左衛門英龍が日本で初めてパンを焼いたことに由来する。パン食普及協議会が1982年に制定し、この旧暦の12日にちなんで毎月12日を「パンの日」とした。

雑学・小話

江川英龍は幕末の洋式軍制改革を推進する一人で、西洋の軍隊が戦場で食べるパンを日本の兵糧として採用しようと試みた。彼が焼いたのは小麦粉を水で練って焼き固めた硬い「兵糧パン」で、現代のような柔らかいパンとは異なるものだった。日本にパン文化が本格的に根付くのは明治以降で、銀座木村屋のあんパン(1874年)は西洋パンと和の餡を組み合わせた日本独自の発明として明治天皇にも献上された。現代の日本人のパン消費量は増加を続け、2011年には総務省の家計調査でコメへの支出額をパンが初めて上回った。コンビニの惣菜パン・菓子パン市場は年間8,000億円超の規模に達し、食パンは「高級食パンブーム」(2018年〜)を経て多様な専門店が全国に誕生した。

アセロラの日食べ物・飲み物

制定:アセロラの日制定委員会(沖縄県本部町)(1999年)

由来・理由

5月が沖縄県国頭郡本部町でのアセロラ初収穫の時期にあたることから、本部町の商工会・観光協会・熱帯果樹研究会などで構成する「アセロラの日制定委員会」が1999年に5月12日を制定した。アセロラの認知度向上と産地・本部町のPRを目的とする。

雑学・小話

アセロラ(学名:Malpighia emarginata)は南米・カリブ海原産の熱帯果樹で、果実のビタミンC含有量は生果100gあたり約1,700mgと、レモン(約50mg)の約34倍に達する。これは食品の中でもトップクラスの含有量だ。日本への本格導入は1958年頃で、亜熱帯気候の沖縄が主要産地となった。本部町では観光農園でのアセロラ狩りも体験でき、産地直送のフレッシュジュースは現地ならではの味わいとして観光客に人気がある。流通する果実の多くは収穫後すぐに傷むため、市販品はジュース・ゼリー・サプリメントなどの加工品が中心だ。沖縄県産アセロラの生産量は国内のほぼ100%を占め、県の重要農産物のひとつとなっている。

民生委員・児童委員の日社会・国際

制定:全国民生委員児童委員連合会(1977年)

由来・理由

1917年(大正6年)5月12日に岡山県で民生委員制度の前身「済世顧問制度」が創設されたことを記念し、全国民生委員児童委員連合会が1977年(昭和52年)に制定した。5月12日を含む一週間を「民生委員・児童委員活動強調週間」としている。

雑学・小話

「済世顧問制度」は岡山県知事・笠井信一が考案し、地域の実情に精通した民間人が貧困世帯の相談に乗り生活改善を支援するという画期的な仕組みだった。これが全国に広まり1936年に「方面委員令」として法制化、1946年の「民生委員令」を経て現在の制度となった。現在の民生委員・児童委員は都道府県知事が推薦し厚生労働大臣が委嘱する無報酬のボランティアで、全国に約23万人が活動している。高齢者・障害者・ひとり親家庭・生活困窮者など地域の福祉ニーズを把握し、行政や福祉機関とのつなぎ役を担う。少子高齢化が進む中で孤独死の防止や見守り活動の重要性が増しており、地域コミュニティの維持に欠かせない存在となっている。

線維筋痛症啓発デー健康・医療

由来・理由

5月12日がフローレンス・ナイチンゲールの誕生日であることにちなんで定められた国際的な啓発デー。ナイチンゲールはクリミア戦争帰還後に慢性疼痛・倦怠感を伴う原因不明の症状を長年患っていたと伝えられており、これが現在の線維筋痛症に近い症状だったのではないかとする見方もある(確定的な医学的診断ではない)。

雑学・小話

線維筋痛症(Fibromyalgia)は全身の広範な疼痛と疲労感を主症状とする慢性疾患で、外見からは分かりにくいため「見えない病気(invisible illness)」とも呼ばれる。日本国内の患者数は約200万人と推計されており、女性に多く発症するが診断確定まで平均数年かかることも珍しくない。ナイチンゲールはクリミア戦争(1853〜1856年)の過酷な環境で心身を酷使した後、38歳頃から深刻な体調不良に陥り、以降の約50年をほぼ自宅の寝室で過ごしたと伝えられる。それでも彼女は看護教育の改革・統計的手法による衛生状況の可視化・著作活動を寝ながらも精力的に続けた。啓発デーが設けられた背景には、患者が症状を周囲に理解されにくい孤立感を抱えやすいという問題意識があり、紫色のリボンが啓発のシンボルカラーとして使われている。

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