7月29日は何の日?
4件の記念日があります
制定:株式会社新進
由来・理由
福神漬の名前の由来である七福神にちなみ「しち(7)ふく(29)」と読む語呂合わせから、漬物メーカーの株式会社新進が7月29日を制定。カレーライスの付け合わせとして定着した福神漬を食べて夏バテを防いでほしいとの思いが込められており、日本記念日協会に認定されている。
雑学・小話
福神漬は明治時代、東京・上野の山田屋(現・酒悦)の15代目店主・野田清右衛門が考案したとする説が有力で、命名は作家の梅亭金鵞によるとされる。店舗近くの不忍池の弁財天が七福神のひとつであること、また大根・なす・れんこん・かぶ・うり・しそ・剣豆(なたまめ)の7種類の野菜が使われることから「七福神」にちなんで名付けられた。 カレーライスの付け合わせとして広まったのは大正時代、日本郵船の欧州航路でカレーに添えて供されたのが始まりとされる。船旅の食卓では塩分・保存性のある福神漬がカレーの辛みを和らげる副菜として重宝され、日本独自の「カレーのお供」文化が定着した。 近年はからし・みりん醤油・梅など多様なフレーバーの福神漬が市販されており、カレー以外にもチャーハン・おにぎりの具・炒め物の隠し味として活用されている。江戸・明治の食文化から生まれた漬物が現代の食卓でも活躍し続けている。
制定:一般社団法人日本アマチュア無線連盟(JARL)(1973年)
由来・理由
1952年(昭和27年)7月29日、太平洋戦争の開始とともに禁止されていたアマチュア無線が戦後11年ぶりに解禁され、全国30人にアマチュア局の予備免許が交付されたことに由来する。これを記念して日本アマチュア無線連盟(JARL)が1973年(昭和48年)に制定した。
雑学・小話
アマチュア無線(ハム)は趣味として電波を扱う無線通信で、免許を取得した個人が国際的な交信を楽しむ。日本では1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦とともに全民間無線局の運用が禁止され、長い空白期が訪れた。 1952年7月29日、電波監理委員会から全国30局に予備免許が発給されアマチュア無線が復活。以来「ハム人口」は急増し、1980年代には日本の免許保有者が130万人を超えて世界最多水準に達した。アマチュア無線は遠隔地の人々とリアルタイムで交信できる当時唯一の手段として、国際交流や災害時の通信確保にも貢献してきた。 近年はインターネット普及により従来型の短波通信によるハム人口は減少傾向にあるが、東日本大震災(2011年)など大規模災害時にプロ通信網が機能しない場合にアマチュア無線が非常通信手段として活躍し、その価値が改めて見直されている。
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1905年(明治38年)7月29日、来日中のアメリカ大統領特使ウィリアム・タフト陸軍長官と内閣総理大臣・桂太郎が会談し、日本のフィリピン不関与とアメリカによる韓国での日本の指導的地位の承認とを相互に確認した合意記録に由来する。「桂・タフト協定」の名で広く知られるが、正式に調印された条約ではなく、日本の外務省も「桂・タフト諒解」と呼んでおり、その性格や重要性については歴史家の間で評価が分かれる。
雑学・小話
日露戦争(1904〜05年)の講和交渉(ポーツマス会談)を控えた時期、東アジアと太平洋における両国の勢力圏を確認するため、タフトと桂は非公式に会談した。会談記録には「日本はフィリピンに領土的野心をもたない」「アメリカは日本による韓国保護国化を妨げない」という趣旨のやりとりが記されている。 この記録は1924年に外交史家タイラー・デネットが発見し「注目すべき執行協定」と紹介したことで「秘密協定」として広く知られるようになった。しかし後年、レイモンド・エサス(Raymond Esthus)らの研究は、これが署名済みの条約や秘密協定ではなく単なる会談内容の覚書に過ぎず、新たな政策合意でもないと指摘し、デネットの評価は誇張だったとする見方が有力になっている。 それでも会談は、第2次日英同盟(1905年8月)やポーツマス条約(1905年9月)と並び、日本の韓国支配に対する列強の黙認を得る外交的布石の一つとなったとされ、日本は1905年に韓国を保護国化、1910年には韓国併合に至った。
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1978年(昭和53年)7月29日、1961年から17年間中断していた隅田川(両国)の花火大会が「隅田川花火大会」と名称を改めて復活した日。花火大会の起源は1733年(享保18年)に遡り、290年以上の歴史を持つ江戸・東京の夏の代名詞。
雑学・小話
隅田川花火の起源は1733年(享保18年)、両国橋の川開きの際に幕府が水神祭の奉納花火を行ったことにさかのぼる。前年1732年の大飢饉・疫病で多くの命が失われたことへの慰霊と、悪霊退散を祈願したのが始まりとされる。以降「川開き」に合わせた花火は江戸の夏の風物詩として定着した。 1961年、交通渋滞の激化・隅田川の水質汚濁による臭害などを理由に花火大会は中止。17年のブランクを経て、河川環境の改善と地域振興を目的に1978年7月29日、「隅田川花火大会」として新たなスタートを切った。打ち上げ場所も旧来の両国橋付近から上流の白鬚橋・駒形橋周辺へと移し、2会場同時開催というスタイルが生まれた。 復活後の大会は打ち上げ数・観客数ともに急増し、現在は約2万発が打ち上げられ、国内外の観客100万人以上が集まる東京最大の夏のイベントとなっている。江戸時代から受け継がれる「川と花火」の風景は、東京の夏を象徴するシーンとして今も生き続けている。