8月23日は何の日?
6件の記念日があります
由来・理由
1868年(慶応4年)の旧暦8月23日、戊辰戦争のさなか、会津藩の少年で組まれた「白虎隊」の一隊が飯盛山で自刃したと伝えられることにちなむ。20人の隊員のうち多くが十代の若者だったとされる。
雑学・小話
幕末から明治へと移りかわる動乱のなか、会津藩は新政府軍との激しい戦いに巻き込まれたとされる。白虎隊は、本来は予備の部隊として編成された十代半ばの少年たちの隊だったと伝えられる。戦況が悪化するなか、彼らもまた戦いの場へと向かうことになった。 飯盛山にたどり着いた一隊は、城下の方角に立ちのぼる煙と炎を目にしたとされる。城が落ちたと思いつめた少年たちは、山上で自ら命を絶ったと語り継がれている。実際には城はまだ持ちこたえていたともいわれ、その悲劇性が後世に強い印象を残してきた。 この出来事は、忠義や時代に翻弄された若者たちの物語として、さまざまに語られてきた。美談として理想化されすぎることへの戒めの声もある。この日は、戦争が若い世代に何をもたらすのかを、史実として静かに見つめ直すきっかけといえる。
制定:離宮八幡宮・カネダ株式会社
由来・理由
京都・大山崎の離宮八幡宮と、食用油を手がけるカネダ株式会社が共同で制定。貞観元年(859年)8月23日、宇佐八幡宮の分霊が大山崎に遷宮され、離宮八幡宮となったと伝えられることにちなむ。離宮八幡宮は、荏胡麻(えごま)から油をしぼる道具を生み出したとされ、日本の製油発祥の地と伝えられる。
雑学・小話
油は、灯りをともし、食べ物を調理し、機械を動かすなど、暮らしのさまざまな場面を支えてきた。かつて、あかりの燃料として使われたのは、菜種や荏胡麻などからしぼった植物の油だったとされる。電気が広まる前の夜を照らしていたのは、こうした油の火だった。 京都・大山崎の離宮八幡宮は、その製油の技がはじまった地と伝えられ、油の神様としても知られてきた。中世にはこの地の油商人たちが大きな力をもち、各地に油を届けていたといわれる。油が貴重な品であり、人々の暮らしに欠かせないものだったことがうかがえる。 今では、食用油をはじめ、さまざまな油が身近にある。あまりに当たり前になって、その大切さを意識することは少ないかもしれない。この記念日は、暮らしを支えてきた油の歴史と役割に、あらためて目を向けてみる一日といえる。
制定:株式会社湖池屋
由来・理由
1962年(昭和37年)8月23日、湖池屋が「コイケヤポテトチップスのり塩」を発売した日にちなみ、湖池屋が記念日を制定した。日本で本格的に量産された、のり塩味のポテトチップスの先がけとされる。
雑学・小話
ポテトチップスは、うすく切ったじゃがいもを油で揚げ、塩などで味つけしたお菓子だ。もともとは海外で生まれたとされるが、日本では当初、手作業に頼る部分が多く、安定して量産することが難しかったといわれる。 そうしたなか、和の風味である「のり塩」を組み合わせた商品が生み出され、日本人の口に合う味として親しまれていったとされる。青のりの香りと塩気が、揚げたてのじゃがいもの風味とよく合い、定番の味のひとつになっていった。 今ではコンビニやスーパーに、数えきれないほどの種類のポテトチップスが並んでいる。手軽につまめるおやつとして、世代を問わず親しまれている。この記念日は、すっかり身近になったポテトチップスの歩みに思いをはせる一日といえる。
制定:ユネスコ(1997年)
由来・理由
1997年にユネスコ(国連教育科学文化機関)が定めた国際デー。1791年8月22日から23日にかけて、フランス領サン=ドマング(現在のハイチ)で奴隷たちが蜂起し、大西洋をまたぐ奴隷貿易の廃止につながる大きな転機になったことにちなむ。
雑学・小話
大西洋をはさんだ奴隷貿易では、長い年月にわたり、数えきれないほどの人々が故郷から連れ去られ、自由を奪われたとされる。人を商品のように扱うこの仕組みは、当時の社会や経済と深く結びつき、なかなか終わらせることができなかったと伝えられる。 そうしたなか、サン=ドマングで起きた奴隷たちの蜂起は、自らの手で自由をつかみとろうとする動きの象徴になったとされる。この出来事は、のちの奴隷制の廃止に向けた流れを後押ししたといわれる。ユネスコは、この歴史を忘れないために国際デーを定めた。 過去の悲しい歴史に向き合うことは、つらさを伴う。それでも、何が起きたのかを知り、二度と繰り返さないと心にとめることには意味がある。この記念日は、人の自由と尊厳について、静かに考えるきっかけを与えてくれる。
由来・理由
2007年8月23日、アメリカのウェブ技術者クリス・メッシーナが、Twitter(現在のX)上で投稿を分類する目印として「#(ハッシュ)」を使うことを初めて提案したことにちなむとされる。
雑学・小話
ハッシュタグは、言葉の前に「#」をつけることで、同じ話題の投稿をひとまとめにできる仕組みだ。今ではSNSに欠かせない機能として、世界中で当たり前のように使われている。その始まりは、たったひとつの提案だったとされる。 当初は、混雑する投稿のなかから同じ話題を見つけやすくする、ささやかな工夫として考えられたといわれる。やがて利用者の間に広まり、災害時の情報共有や、社会的な呼びかけ、趣味のつながりなど、さまざまな場面で役立つようになっていった。 小さなアイデアが、多くの人に使われることで大きな役割を担うようになる――ハッシュタグは、そのことを象徴する存在ともいえる。この記念日は、何気なく使っている「#」の始まりに目を向け、情報のつながり方について考える一日といえる。
制定:ハワイ州政府(1979年、8月23日を「ウクレレの日」として正式制定)(1879年)
由来・理由
1879年8月23日、ポルトガル領マデイラ島からの移民419人を乗せた帆船「レーベンスクラグ号(Ravenscrag)」がハワイ・ホノルルに到着し、移民たちが故郷の弦楽器を持ち込んだことにちなむとされる。ハワイ州政府は1979年、この日を正式に「ウクレレの日」に定めたと伝えられる。
雑学・小話
ウクレレは、4本の弦を持つ小ぶりな弦楽器で、やわらかく明るい音色で知られる。その起源は、マデイラ島からさとうきび農園での契約労働のために海を渡ってきた移民たちが持ち込んだ「マシェーテ(ブラギーニャ)」という小型弦楽器にあると伝えられる。同じ船には家具職人のマヌエル・ヌネス、オーガスト・ディアス、ホセ・ド・エスピリト・サントの3人が乗り合わせており、彼らがハワイ固有の木材コアを用いて楽器を改良し、現在のウクレレの原型を作り上げたとされる。「ウクレレ」という名の由来には諸説あるが、ハワイ語で「跳ねるノミ」を意味し、演奏者の指が弦の上を素早く動く様子になぞらえたという説が広く知られている。抱えやすくやさしい音のするウクレレは、今では世界中で親しまれ、はじめての楽器として手に取る人も多い。
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