✦ ツキヨミ ✦

520日は何の日?

4件の記念日があります

世界ミツバチの日自然・環境

制定:国連総会(2017年)

由来・理由

スロベニア政府の提案を受け、2017年12月の国連総会で制定された国際デー。近代養蜂の先駆者であるスロベニア人のアントン・ヤンシャの誕生日(1734年5月20日)にちなむ。農業・生態系に不可欠な花粉媒介者(ポリネーター)であるミツバチの保護と、生物多様性への理解を促すことを目的とする。

雑学・小話

ミツバチは世界の食料の3分の1の生産に関わるとされる。穀物・野菜・果物・ナッツ類など多くの作物は、ミツバチによる花粉媒介なしには実を結ばない。しかし世界的にミツバチの個体数は減少しており、農薬・生息地の喪失・気候変動・ダニなどの病害虫が主な原因とされる。国連食糧農業機関(FAO)によると花粉媒介生物の約40%が絶滅危惧状態にある。近代養蜂の父と呼ばれるアントン・ヤンシャはハプスブルク帝国治下のスロベニア出身で、1771年の著書「ミツバチの分封について」や1773年の「完全養蜂ガイド」は今もなお養蜂の古典として読み継がれている。スロベニアでは養蜂が国民文化の一部として根付いており、ヤンシャの誕生日にちなむこの記念日には、スロベニアの養蜂文化への敬意と世界的な啓発への願いが込められている。日本でも在来種のニホンミツバチのほかセイヨウミツバチが養蜂に用いられ、はちみつ・蜜蝋生産や農業授粉に貢献している。

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世界計量記念日社会・国際

由来・理由

1875年(明治8年)5月20日、フランスのパリで欧米17か国が「メートル条約」を締結したことを記念して制定された国際記念日。国際度量衡局(BIPM)と国際法定計量機関(OIML)が共同で1999年に定めた。計量・測定技術が科学・産業・日常生活に果たす役割の重要性を世界に伝えることを目的とする。

雑学・小話

メートル条約締結以前の世界では、国や地域ごとに独自の単位が使われており「1フィート」「1尺」など単位系が乱立しており、国際貿易や科学研究に大きな障害があった。1875年の条約締結により共通のメートル法が国際標準として確立され、長さ・質量・時間の単位に統一性が生まれた。日本は1885年(明治18年)にメートル条約に加盟し、1921年(大正10年)の改正度量衡法でメートル法の使用が義務付けられた。現在の国際単位系(SI)はメートル条約の延長上にあり、長さ(メートル)・質量(キログラム)・時間(秒)など7つの基本単位で構成される。2019年5月20日にはキログラムの定義が改定され、物理定数「プランク定数」を基準とする定義に移行した。人工物に依存しない普遍的な単位定義の実現は、計量の歴史における大きな節目とされる。計量技術は医療・航空・宇宙・食品安全など現代のあらゆる分野を支える基盤となっている。

ローマ字の日文化・芸術

制定:財団法人日本のローマ字社(NRS)(1955年)

由来・理由

日本式ローマ字の提唱者である地球物理学者・田中舘愛橘(たなかだて・あいきつ)の命日(1952年5月21日)に近い20日とし、また1922年(大正11年)5月20日に日本ローマ字会が創設されたことを記念して、財団法人「日本のローマ字社」(NRS)が1955年に制定した記念日。日本語をローマ字で表記する文化の普及・啓発を目的としている。

雑学・小話

田中舘愛橘(1856〜1952)は岩手県生まれの物理学者で、地球の磁気・重力測定など地球物理学の先駆者として知られる一方、日本語をローマ字で体系的に表記する「日本式ローマ字」の考案者として名を残す。明治期には「ヘボン式」と「日本式」の二つのローマ字表記法が並立し、どちらを標準とするかをめぐって長い論争が続いた。ヘボン式は英語の発音規則に準拠した表記法であるのに対し、日本式は五十音図に基づいて論理的に整理されており、「si(し)・ti(ち)・tu(つ)」などが特徴的な形をとる。1937年(昭和12年)に政府が内閣訓令として公布した「訓令式」は日本式を基礎としており、現在も学校教育で用いられる基本的なローマ字法の根幹をなしている。日本のパスポートや道路標識には主にヘボン式が採用されており、二つの方式は今も日常生活に共存している。

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成田空港開港記念日社会・国際

由来・理由

1978年(昭和53年)5月20日、千葉県成田市に「新東京国際空港」(現・成田国際空港)が開港したことを記念する日。1966年(昭和41年)の閣議決定から12年の歳月を経て実現した開港は、日本における国際航空輸送の新たな玄関口の誕生を意味し、以後の日本の国際化を大きく後押しすることになった。

雑学・小話

成田空港の歴史は激しい紛争と共にある。空港建設地とされた千葉県成田市三里塚地区の農家や住民による反対運動(三里塚闘争)は長期化し、国と支援する新左翼党派との間で流血事件も起きた。1978年3月、開港の約2か月前に反対派ゲリラが空港の管制塔に侵入し、通信機器を破壊する事件が発生。当初予定されていた3月30日の開港は延期を余儀なくされ、厳重な警備体制が敷かれた5月20日にずれ込んだ。開港式典は機動隊に囲まれた中で行われ、滑走路も本来2本あるべきところを1本のみで出発するという異例の形だった。それでも成田空港はその後、アジアの主要ハブとして発展を続け、2000年代以降は第2ターミナル・第3ターミナルの整備も進んだ。現在は年間旅客数数千万人を誇り、インバウンド観光の拡大とともに日本の国際航空交通の中心的役割を担い続けている。なお、成田空港問題は長期的な対話の末、段階的に農家との和解が進められた経緯がある。

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