5月20日は何の日?
4件の記念日があります
制定:国連総会(2017年)
由来・理由
スロベニア養蜂協会が2014年に提唱し、スロベニア政府の後押しでFAO(国連食糧農業機関)や国際養蜂連盟アピモンディアの支持を得て、2017年12月20日の国連総会決議により制定された国際デー。近代養蜂の先駆者であるスロベニア人のアントン・ヤンシャの誕生日(1734年5月20日)にちなむ。農業・生態系に不可欠な花粉媒介者(ポリネーター)であるミツバチの保護と、生物多様性への理解を促すことを目的とし、2018年に第1回が開催された。
雑学・小話
ミツバチは世界の食料の3分の1の生産に関わるとされる。穀物・野菜・果物・ナッツ類など多くの作物は、ミツバチによる花粉媒介なしには実を結ばない。しかし世界的にミツバチをはじめとする花粉媒介昆虫は減少傾向にあり、農薬・生息地の喪失・気候変動・ダニなどの病害虫が主な原因とされる。 近代養蜂の父と呼ばれるアントン・ヤンシャは、当時ハプスブルク帝国領だったスロベニアの養蜂家の家系に生まれ、1769年からウィーンの宮廷で開かれたヨーロッパ初の養蜂学校で教鞭を執った。1771年の著書「ミツバチの分封について」に続き代表作「完全養蜂ガイド」を著したが、1773年にウィーンで没したため同書の刊行は没後の1775年になったとされる。没後、女帝マリア・テレジアは養蜂の指導者は皆ヤンシャの教えに従うようにとの布告を出したという。 スロベニアでは養蜂が国民文化の一部として根付いており、2014年にスロベニア養蜂協会が世界ミツバチの日の創設を提唱したのを機に、政府が2016年のFAO欧州地域会議で提案を行い、FAO農業委員会の支持を経て2017年の国連総会で正式に制定された。ヤンシャの誕生日にちなむこの記念日には、スロベニアの養蜂文化への敬意と世界的な啓発への願いが込められている。日本でも在来種のニホンミツバチのほかセイヨウミツバチが養蜂に用いられ、はちみつ・蜜蝋生産や農業授粉に貢献している。
- World Bee Day - FAO(国連食糧農業機関)
- Anton Janša (1734-1773) - Žirovnica
- About the World Bee Day project | GOV.SI
由来・理由
1875年(明治8年)5月20日、フランスのパリで欧米17か国が「メートル条約」を締結したことを記念して制定された国際記念日。国際度量衡局(BIPM)と国際法定計量機関(OIML)が共同で1999年に定めた。計量・測定技術が科学・産業・日常生活に果たす役割の重要性を世界に伝えることを目的とする。
雑学・小話
メートル条約締結以前の世界では、国や地域ごとに独自の単位が使われており「1フィート」「1尺」など単位系が乱立しており、国際貿易や科学研究に大きな障害があった。1875年の条約締結により共通のメートル法が国際標準として確立され、長さ・質量・時間の単位に統一性が生まれた。日本は1885年(明治18年)にメートル条約に加盟し、1921年(大正10年)の改正度量衡法でメートル法の使用が義務付けられた。現在の国際単位系(SI)はメートル条約の延長上にあり、長さ(メートル)・質量(キログラム)・時間(秒)など7つの基本単位で構成される。2019年5月20日にはキログラムの定義が改定され、物理定数「プランク定数」を基準とする定義に移行した。人工物に依存しない普遍的な単位定義の実現は、計量の歴史における大きな節目とされる。計量技術は医療・航空・宇宙・食品安全など現代のあらゆる分野を支える基盤となっている。
制定:財団法人日本のローマ字社(NRS)(1955年)
由来・理由
日本式ローマ字の提唱者である地球物理学者・田中舘愛橘(たなかだて・あいきつ、1856〜1952年)の命日(1952年5月21日)に近い20日とし、また1922年(大正11年)5月20日に日本ローマ字会が設立されたことを記念して、財団法人「日本のローマ字社」(NRS)が1955年(昭和30年)に制定した記念日。日本語をローマ字で表記する文化の普及・啓発を目的としている。
雑学・小話
田中舘愛橘は岩手県二戸(現・二戸市)出身の物理学者で、地球の重力・磁気測定など地球物理学の先駆者として知られる一方、日本語をローマ字で体系的に表記する「日本式ローマ字」の生みの親として名を残す。1885年(明治18年)、ヘボン式を採用していた「羅馬字会」の会員だった田中舘は、五十音図に基づく独自のつづり方を対案として提出したが採用されず、同会を退会したとされる。この案は後に弟子の物理学者・田丸卓郎により「日本式ローマ字」と名付けられた。ヘボン式は英語の発音規則に準拠した表記であるのに対し、日本式は五十音図に基づいて論理的に整理されており、「si(し)・ti(ち)・tu(つ)」などが特徴的な形をとる。1937年(昭和12年)には内閣訓令第3号「国語ノローマ字綴方統一ノ件」により、日本式を基礎としヘボン式を排した「訓令式」が公布され、1954年(昭和29年)の内閣告示ではこの訓令式を第1表として原則としつつ、ヘボン式に近い表記を第2表として国際関係などの場合に用いる形に整理された。しかし2025年(令和7年)12月22日、文化審議会の答申を受けた政府は新たな内閣告示(令和7年内閣告示第4号)を公布して1954年の告示を廃止し、約70年ぶりに、日常広く使われているヘボン式に近い表記へと一本化した。パスポートや道路標識では従来からヘボン式が用いられており、今回の改定で学校教育もようやく足並みが揃う形となった。
- 田中舘愛橘 - Wikipedia
- ローマ字論 - Wikipedia
- 田中舘愛橘~日本最初の航空機、そして日本式ローマ字の祖 - WEB歴史街道
- 「ローマ字のつづり方」(令和7年内閣告示第4号)について - 日本語教育学会
- ローマ字表記「ヘボン式」基本に、22日告示へ 70年ぶりの改定 - 日本経済新聞
- ローマ字表記が変わる!?「ヘボン式」と「訓令式」 - HugKum
- ローマ字のつづり方 解説 - 文化庁
由来・理由
1978年(昭和53年)5月20日、千葉県成田市に「新東京国際空港」(現・成田国際空港)が開港したことを記念する日。1966年(昭和41年)の閣議決定から12年の歳月を経て実現した開港は、日本における国際航空輸送の新たな玄関口の誕生を意味し、以後の日本の国際化を大きく後押しすることになった。
雑学・小話
成田空港の歴史は激しい紛争と共にある。空港建設地とされた千葉県成田市三里塚地区の農家や住民による反対運動(三里塚闘争)は長期化し、国と支援する新左翼党派との間で流血事件も起きた。1978年3月、開港の約2か月前に反対派ゲリラが空港の管制塔に侵入し、通信機器を破壊する事件が発生。当初予定されていた3月30日の開港は延期を余儀なくされ、厳重な警備体制が敷かれた5月20日にずれ込んだ。開港式典は機動隊に囲まれた中で行われ、滑走路も本来2本あるべきところを1本のみで出発するという異例の形だった。それでも成田空港はその後、アジアの主要ハブとして発展を続け、2000年代以降は第2ターミナル・第3ターミナルの整備も進んだ。現在は年間旅客数数千万人を誇り、インバウンド観光の拡大とともに日本の国際航空交通の中心的役割を担い続けている。なお、成田空港問題は長期的な対話の末、段階的に農家との和解が進められた経緯がある。