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71日は何の日?

5件の記念日があります

童謡の日文化・芸術

制定:日本童謡協会(1984年)

由来・理由

1918年(大正7年)7月1日、作家・鈴木三重吉が教訓一辺倒だった当時の児童出版に一石を投じ、一流の文学者・芸術家の力を借りて子どもたちに純粋な童話と童謡を届けることを目指し、日本初の本格的児童文芸誌『赤い鳥』を創刊した。その創刊日にちなみ、日本童謡協会が1984年に制定。

雑学・小話

『赤い鳥』には芥川龍之介「蜘蛛の糸」、有島武郎「一房の葡萄」、新美南吉「ごん狐」など今も読み継がれる名作が掲載された。童謡では北原白秋が生涯1,200編のうち300編以上を誌面で発表し、「からたちの花」「ペチカ」がここから生まれた。西条八十の「かなりや」も代表作のひとつ。当時の子ども向け出版物は教訓的なお伽噺が主流だったが、一流文学者によるオリジナル作品を子どもに届けるという試みは日本の児童文化の原点となった。誌は創刊者の鈴木三重吉が逝去した1936年(昭和11年)に休刊となったが、誌面から生まれた童謡・童話の数々は今なお日本人の心に生き続けている。「童謡の日」には全国各地でコンサートやイベントが催され、世代を超えた童謡の継承が続いている。

ウォークマンの日文化・芸術

由来・理由

1979年(昭和54年)7月1日、ソニーが世界初の携帯式ヘッドホンステレオ「ウォークマン(TPS-L2)」を発売した日。それまで自宅のステレオでしか味わえなかった音楽を屋外へ持ち出すという、まったく新しいライフスタイルの誕生を記念する。

雑学・小話

開発のきっかけはソニー創業者のひとり、井深大が海外出張中に「再生専用でいいからステレオにしてほしい」と要望したこと。発売価格は33,000円(当時の大卒初任給は約11万円)で、ソニー創立33周年にちなんだ価格設定だった。発売直後はマスコミの反応が冷淡で、初月の売上は約3,000台にとどまった。しかしスタッフが公園で実演するゲリラPRが功を奏し、8月には初回生産の3万台を完売。その後は供給が追いつかない状態が年内続いた。「自分だけの音楽空間を持ち歩く」という体験はiPodやスマートフォンへと引き継がれ、音楽の聴き方を根本から変えた製品として歴史に名を残す。「ウォークマン」という名称は英語圏でも定着し、同種の携帯音楽プレーヤーを指す一般名詞として使われた時期もあった。

東海道本線全通記念日文化・芸術

由来・理由

1889年(明治22年)7月1日、新橋〜神戸間の東海道本線(600.2km)が全線開通した。着工時は中山道経由で計画されていたが、山間部での難工事が続いたため1886年に東海道経由へ計画変更され、第1回帝国議会開会(1890年)前の完成が急がれた。

雑学・小話

全通時の新橋〜神戸間の所要時間は20時間5分、最安の下等(三等)運賃は3円76銭だった。1872年の新橋〜横浜間開通からわずか17年で東西の幹線が完成し、明治政府の殖産興業・富国強兵を支える大動脈となった。その後も高速化が進み、1909年には12時間50分に短縮。1930年に運転を開始した超特急「燕(つばめ)」は東京〜大阪間を8時間20分で結び、1934年の丹那トンネル開通後はさらに約20分短縮されて8時間程度となった。この記録は1956年の全線電化まで破られなかったとされる。1964年の東海道新幹線開業後は輸送の主役が交代し、現在最速の「のぞみ」は東京〜新大阪間を2時間21分で走る。全通時からは約8〜9分の1にまで短縮された計算になり、鉄道が日本の近代化を文字通り走って支え、世界に誇る新幹線技術へとつながった歴史を象徴する記念日である。

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郵便番号記念日社会・国際

制定:郵政省(1968年)

由来・理由

1968年(昭和43年)7月1日、日本で郵便番号制度がスタートしたことを記念する日。高度経済成長期に爆発的に増加した郵便物を機械で効率よく処理するため、全国の住所を数字で管理する制度として、当初は3桁または5桁の番号が導入された。

雑学・小話

導入当初は3桁または5桁の番号で運用が始まり、1998年(平成10年)には現在の7桁に拡張され、番地レベルまで特定できるようになった。現在は荷物の自動仕分けやEC配送システムの根幹をなすインフラとして機能し、年間数十億通の郵便物・宅配便を支えている。「〒」マークは郵便を表す日本独自のシンボルとして広く親しまれている。

弁理士の日企業・業界

制定:日本弁理士会(1997年)

由来・理由

1899年(明治32年)7月1日、不平等条約改正の一環として新特許法が施行されるとともに、特許出願の代理人制度を定めた「特許代理業者登録規則」が施行された。この日にちなみ、日本弁理士会が1997年に制定。

雑学・小話

制度発足以前は専門知識のない人物も特許出願の代理ができ、明細書の品質にばらつきがあった。登録規則の施行により、制定初年末までに138名が代理業者として登録。日本が同年パリ条約に加盟したことで国際的な知的財産制度とも連携した。1909年(明治42年)に「特許弁理士」の名称が法定化され、1921年(大正10年)の弁理士法公布で「弁理士」に改称された。特許・実用新案・意匠・商標の出願代理を専業とし、企業の知財戦略を支える専門職として活躍している。弁理士の日には各地で無料相談会や知財セミナーが開催される。近年は人工知能(AI)関連発明の急増を背景に、AIが生み出した発明の権利帰属をめぐる議論でも弁理士の役割が国際的に注目されている。

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