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712日は何の日?

4件の記念日があります

ラジオ本放送の日文化・芸術

由来・理由

1925年(大正14年)7月12日、東京放送局(現・NHK)が東京・愛宕山の本格的な放送施設に移転し、出力1キロワットで日本初のラジオ本放送を開始したことに由来。3月22日の仮放送から約4か月を経て、正式な放送体制が整った日。

雑学・小話

日本でのラジオ放送推進を後押ししたのは1923年の関東大震災だった。有線通信では大災害時に情報を伝えられないことが露呈し、政府は無線による一斉放送の重要性を痛感した。東京放送局は当初1925年3月1日の開局を目指したが、逓信省の審査で「未完成につき不適当」と判断され、3月22日に仮放送でスタート。その後4か月かけて愛宕山に本格施設を整備し、7月12日に本放送を開始した。放送開始のコールサインは「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」。その日最初に放送されたのは「天気予報」で、総放送時間は8時間に及んだ。この年、大阪放送局(7月)・名古屋放送局(7月)も相次いで開局。翌1926年にこれら3局が合併して「日本放送協会(NHK)」が誕生した。ラジオは太平洋戦争中に国民への情報伝達手段として活用され、1945年8月15日の「玉音放送」もラジオを通じて流れた。テレビが普及した現代においても、災害時の情報源として改めてその価値が見直されている。

人間ドックの日健康・医療

制定:公益社団法人日本人間ドック・予防医療学会(2019年)

由来・理由

1954年(昭和29年)7月12日、国立東京第一病院(現・国立国際医療研究センター)が日本で初めて組織的な人間ドックを実施したことに由来。この由来にちなみ、日本人間ドック・予防医療学会が2019年(令和元年)5月31日に7月12日を「人間ドックの日」として正式に制定した。

雑学・小話

「人間ドック」という名称は、長い航海を終えた船が点検・修理のために乾燥ドック(dock)に入ることになぞらえ、人も定期的に体を総点検するという発想から生まれたとされる。1954年に実施された日本初の人間ドックは5泊6日という本格的なもので、費用は1万2,000円。当時の大学卒初任給が約5,000〜8,000円だった時代に、相応の費用がかかる高度な検査だった。半年後には聖路加国際病院などが1泊2日の「短期入院精密身体検査」を開始し、受診のハードルが下がっていった。1959年には日本人間ドック学会が設立され、検査の標準化・普及が進んだ。現在では胃カメラ・大腸カメラ・MRI・PET-CTなど多彩な検査が含まれる「人間ドック」は、年間600万人以上が受診する日本独自の予防医療文化として定着している。海外では「Medical Checkup」と呼ばれることが多く、「Ningen Dock」という言葉が日本式健康診断を指す用語として使われる国もある。

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ひかわ銅剣の日文化・芸術

制定:島根県斐川町(現・出雲市)(1984年)

由来・理由

1984年(昭和59年)7月12日、島根県斐川町(現・出雲市)の荒神谷遺跡で弥生時代の銅剣358本が一括発見されたことを記念して、同町(現・出雲市)が制定。当時全国の出土総数を一か所で超えた前代未聞の発見で、日本の弥生考古学を塗り替えた。

雑学・小話

発見の端緒は1983年、広域農道建設に伴う遺跡分布調査中に調査員が田んぼの畦で偶然拾った須恵器の破片だった。翌1984年から本格的な発掘が始まり、7月12日に358本もの銅剣がまとまって出土した。それまで全国各地から発見された銅剣の総数は約300本にすぎなかったため、「一か所でそれを上回る」という衝撃は考古学界・歴史学界に激震をもたらした。さらに翌1985年には同じ遺跡から銅鐸6個・銅矛16本も出土。銅剣・銅鐸・銅矛が同一遺跡から揃って出土した例はほかになく、古代出雲の勢力の大きさを示す証拠として研究が続いている。これらの出土品は1998年に「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定された。銅剣のほとんどは刃の部分に「×」印が刻まれており、祭祀用として意図的に傷付けられたとみられている。発見場所の荒神谷遺跡は現在、史跡公園として整備されており、出土品は島根県立古代出雲歴史博物館に収蔵・展示されている。

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洋食器の日文化・芸術

制定:日本金属洋食器工業組合

由来・理由

「7(ナ)1(イ)2(フ)」の語呂合わせで「ナイフ」と読めることから、日本の洋食器産業の振興を目的として日本金属洋食器工業組合が制定。ナイフ・フォーク・スプーンなど洋食器の優れた品質と文化的価値を広くPRする日。

雑学・小話

日本の洋食器産業の中心は新潟県燕市で、国内生産シェアの90%以上を占める。燕市の金属加工の歴史は江戸時代初期(1620年代)の和釘生産に始まり、その後銅器・銅合金製品の産地として発展。明治時代に入ると洋食文化の普及に合わせて洋食器の製造へと移行した。一大転機となったのは第二次世界大戦後で、進駐軍(GHQ)向けにスプーン・フォークを大量生産したことで設備・技術が急速に向上し、産業規模が飛躍的に拡大した。現在、燕産の洋食器は海外高級ブランドへのOEM供給も行うほど品質で世界に認められており、職人が丁寧に磨き上げた鏡面仕上げのカトラリーは「Tsubame」ブランドとして海外でも評価が高い。伝統的な職人技と最新の金属加工技術が融合した燕のものづくりは「燕三条」という地域ブランドとして、包丁・キッチン用品・アウトドア用品なども含む広範な産業集積を形成している。

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