✦ ツキヨミ ✦

718日は何の日?

3件の記念日があります

光化学スモッグの日自然・環境

由来・理由

1970年(昭和45年)7月18日、東京都杉並区の東京立正高校のグラウンドで体育授業中の生徒43人が目の痛みや頭痛を訴えて次々と倒れ、病院に搬送された。東京都の調査で日本初の光化学スモッグによる被害と判定された。都内で5,200人、埼玉県で407人に被害が及んだ。

雑学・小話

光化学スモッグは自動車・工場の排気ガスに含まれる窒素酸化物や炭化水素が、太陽の強い紫外線を受けて化学反応を起こし「光化学オキシダント」と呼ばれる物質に変化する現象だ。風が弱く日差しの強い夏の昼間に発生しやすく、目やのど・鼻の粘膜に強い刺激を与え、重症例では呼吸困難を引き起こす。 1970年は後に「公害元年」と呼ばれる年だ。この年の12月には「公害国会」が開かれ、大気汚染防止法など14本の公害関連法が成立した。光化学スモッグの日の出来事もその議論を加速させた。 事件を受けて政府は自動車排ガス規制を段階的に強化した。1970年代に「触媒コンバーター」の搭載が義務化されると、排気ガス中の有害物質は大幅に減少。光化学スモッグの発生件数と被害者数は激減した。 現代でも夏の晴天・高温・微風の日には注意報が発令されることがある。1970年7月18日の事件は日本の環境行政を大きく変えた転換点として今も記憶されている。

ネルソン・マンデラ国際デー社会・国際

制定:国連(2009年)

由来・理由

南アフリカ共和国の反アパルトヘイト運動指導者ネルソン・マンデラが1918年7月18日に誕生した日に由来する。2009年11月10日の国連総会決議により、マンデラが平和・自由・人権のために67年間を捧げた功績を称え国際デーとして制定された。

雑学・小話

ネルソン・マンデラは1918年7月18日、南アフリカ東ケープ州の小さな村に生まれた。弁護士として活動する中でアフリカ民族会議(ANC)の活動家となり、アパルトヘイト(人種隔離政策)に抵抗する運動を指揮した。 1964年、政府の転覆を企てたとして終身刑の判決を受け、ロベン島刑務所に収監された。劣悪な環境の中で27年間もの獄中生活を送ったが、その信念は揺るがなかった。国際社会からの釈放要求が高まり、1990年についに解放される。 釈放後のマンデラが選んだのは報復ではなく和解だった。1994年、南アフリカで初の全人種参加選挙が行われ、マンデラは大統領に当選した。「真実和解委員会」を設置し、過去の人権侵害を暴力でなく対話によって乗り越えようとした。 マンデラ国際デーでは「67分間の奉仕活動」が呼びかけられる。これはマンデラが67年間にわたって公共のために尽くしたことにちなむ。67分間でいいから誰かのために行動しようという思想は、世界中の人々に受け継がれている。マンデラは2013年12月5日、95歳でその生涯を閉じた。

ネルソン・マンデラ国際デーの単独ページを見る →
ミールキットの日食べ物・飲み物

制定:オイシックス・ラ・大地株式会社

由来・理由

2013年(平成25年)7月18日にオイシックス・ラ・大地株式会社(当時:Oisix株式会社)が食材宅配サービスと連動したミールキット「Kit Oisix」の販売を開始した日に由来する。同社が制定し、日本記念日協会に認定された。ミールキットの認知向上と食文化の普及が目的。

雑学・小話

ミールキット(Meal Kit)とは、1回分の食事に必要な食材・調味料・レシピがひとつにまとめてパッケージされた商品だ。野菜はカット済みで、指示に従えば15〜20分で料理が完成する設計になっている。 「Kit Oisix」はその先駆けとして2013年に登場した。「食材宅配は素材だけ届ける」という業界の常識を覆し、「調理のプロセスごと届ける」という発想で食卓の手作りを支援した。当初は利用者向けの付加価値商品だったが、共働き世帯の増加や時短ニーズを背景に急速に普及した。 決定的な転換点はコロナ禍だった。2020年以降の外出自粛・テレワーク推進の中で「内食需要」が爆発し、ミールキット市場が急拡大した。スーパーマーケット各社やコンビニエンスストアも参入し、ミールキットは一般的な食品カテゴリとして定着している。 家庭料理と簡便さを両立させるミールキットは、現代の食文化に新しい選択肢を加えた。毎年7月18日のミールキットの日は、家族や大切な人と一緒にキッチンに立つことを楽しんでもらいたいという思いから制定された。

7/17一覧へ7/19