6月12日は何の日?
5件の記念日があります
由来・理由
1942年(昭和17年)6月12日、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクが13歳の誕生日に父から日記帳を贈られ、日記を書き始めたことにちなむ記念日。第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を記録した『アンネの日記』は後に世界的な名著となった。
雑学・小話
アンネ・フランクは1929年6月12日にドイツ・フランクフルトで生まれた。ナチスの迫害を逃れてオランダ・アムステルダムに移住した一家は、1942年にユダヤ人の強制移送が始まるとアムステルダムの隠れ家(後に「アンネの家」として公開)に潜伏し始めた。アンネは誕生日に贈られたチェック柄の日記帳に、日々の出来事・家族との軋轢・初恋・戦争への怒り・平和への願いをみずみずしい感性で綴り続けた。「それでも人間の本性は善だと信じたい」という言葉は今も世界中の人々の心に響く。1944年8月にゲシュタポに発見・逮捕された一家はアウシュビッツ強制収容所に送られ、アンネは1945年2月か3月に15歳でベルゲン・ベルゼン強制収容所で亡くなった。生き残った父オットーが出版を手がけた日記は60以上の言語に翻訳され、2500万部以上のベストセラーとなった。6月12日はアンネの誕生日として世界中で記憶されており、日記を書く文化の象徴的な日ともなっている。
制定:全国額縁組合連合会
由来・理由
ブラジルでは縁結びの聖人・聖アントニオの命日(6月13日)の前日を「恋人の日(Dia dos Namorados)」として祝う習慣がある。日本でもこの風習を取り入れ、全国額縁組合連合会が6月12日を「恋人の日」として制定。大切な人の写真を額縁に入れてプレゼントする習慣を広める目的がある。
雑学・小話
ブラジルの「恋人の日(Dia dos Namorados)」は、1952年にサンパウロ商業協会が6月12日を「恋人の日」と定めてキャンペーンを展開したことが起源とされる。縁結びの聖人・聖アントニオの命日前日という宗教的な文脈とも結びつけられ、たちまちブラジル全土に広まった。ブラジルには2月14日のバレンタインデーの習慣がなく、代わりに「恋人の日」がカップルがプレゼントを交わし愛を誓い合う日として定着している。日本では1970年代に全国額縁組合連合会がブラジルの習慣を参考に「恋人の写真を額縁に入れてプレゼントする日」として普及活動を始めた。バレンタインデーとホワイトデーとは異なる「6月の恋人の記念日」として位置づけられており、ジューンブライドのイメージとも重なりウエディング関連業界とも親和性が高い。「大切な人への気持ちを改めて伝える日」として、日本でも少しずつ認知が広まっている。
由来・理由
1884年(明治17年)6月12日、東京・日比谷の鹿鳴館で華族の女性たちによる日本初のバザー(当時は「婦人慈善市」)が開催されたことにちなむ。3日間にわたり手芸品などが販売された。
雑学・小話
鹿鳴館は1883年(明治16年)に明治政府が欧米列強との不平等条約改正を目指す「欧化政策」の一環として建設した洋風社交場だ。設計はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによるもので、東京・日比谷(現・内幸町)に建てられた。外国使節や上流階級が舞踏会・夜会を催す場として「鹿鳴館外交」と呼ばれた一時代を築いた。1884年のバザーは華族の女性たちが手芸品などを持ち寄って販売したもので、3日間にわたり開催された。当時はまだ「バザー」という言葉がなく「婦人慈善市」と呼ばれたが、これが日本のバザー文化の原点とされる。バザーは現在、学校・地域・チャリティの定番イベントとして日本全国に根付いており、不用品の交換・地域交流の促進・寄付集めなど多様な目的で行われている。フリーマーケットとの違いは「特定のグループが主催する」のがバザー、「不特定多数が参加する」のがフリマとされることが多い。
制定:日本エスペラント協会(2006年)
由来・理由
1906年(明治39年)6月12日、東京で黒板勝美・浅田栄次・安孫子貞治郎らにより日本エスペラント協会(Japana Esperantista Asocio)が設立されたことにちなむ。協会設立100周年にあたる2006年からこの日を「エスペラントの日」と呼ぶようになった。エスペラントは1887年にザメンホフが提唱した国際共通語だ。
雑学・小話
エスペラントは1887年、ポーランドの眼科医ルドヴィコ・ラザロ・ザメンホフが「すべての人が平等に学べる国際共通語」として創案した人工言語だ。「エスペラント」とはペンネームが由来で、エスペラント語で「希望する者」を意味する。文法が規則的で例外が少なく、ヨーロッパ系の語彙をベースに組み立てられているため比較的習得しやすいとされる。日本では1906年に東京でエスペラント協会が設立され、同じ年に文豪・二葉亭四迷が日本初のエスペラント学習書『世界語』を出版し、第1回日本エスペラント大会も開催されるなど、この年は日本のエスペラント運動が本格的に始動した節目となった。その後、大正時代にはエスペラント運動が労働運動・平和運動と結びついて広まったが、第二次世界大戦中は「国際主義的」として弾圧を受けた。現在も世界に約100万人のエスペランティスト(エスペラント話者)がいるとされ、インターネット上の学習コンテンツや翻訳アプリの整備により、若い世代の学習人口は増加傾向にあるともいわれる。完全な普及には至っていないが、「言語の不平等をなくしたい」というザメンホフの理念は今も色あせることなく受け継がれている。
エスペラントの日の単独ページを見る →制定:ILO(国際労働機関)(2002年)
由来・理由
2002年、ILO(国際労働機関)が制定した国際デー。子どもの可能性・尊厳・自由を奪い教育を受ける機会を妨げる児童労働の撤廃を世界に訴えることを目的とする。1999年に採択されたILO第182号条約(最悪の形態の児童労働の即時撤廃を求める条約)の精神を広く伝える。
雑学・小話
世界には今なお1億6000万人以上の子どもたちが児童労働に従事しているとされる(ILO・ユニセフ「児童労働:2020年世界推計」)。内訳は男児9700万人・女児6300万人で、世界の子どものおよそ10人に1人にあたる。児童労働人口は2000年から2016年にかけて9400万人減少していたが、2020年推計ではこの4年間で840万人増加し、20年ぶりに反転したことが明らかになった。危険有害労働に従事する5〜17歳の子どもも2016年から650万人増え7900万人に達しているという。農業・漁業・工場労働・家事労働・採掘業など多様な形態があり、特にサブサハラアフリカでの増加が顕著とされる。「最悪の形態」には奴隷的慣行・子ども兵士・売春・薬物取引への強制関与なども含まれる。 ILOは1973年に就業最低年齢に関する第138号条約を、1999年に最悪形態の即時撤廃を求める第182号条約を採択し、法整備を各国に促してきた。同条約は2020年8月4日、トンガの批准によりILO加盟187か国すべてが批准する「普遍的批准」を達成し、ILOの条約史上最も早く批准が進んだ条約となったとされる。国連は2021年を「児童労働撤廃のための国際年」に指定し、2025年までのあらゆる形態の児童労働撤廃を各国に呼びかけた。法律と現実の乖離は大きく、貧困や教育アクセス不足が根絶への障壁となっている。毎年6月12日には世界各地でキャンペーンが開かれ、フェアトレードなど消費者の意識向上にも貢献している。
- ILO launches first \'World Day Against Child Labour\' 12 June 2002 - International Labour Organization
- ILO Child Labour Convention achieves universal ratification
- Child labour rises to 160 million – first increase in two decades | UNICEF
- 2021 declared International Year for the Elimination of Child Labour | ILO