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7月16日は何の日?

4件の記念日があります

駅弁記念日食べ物・飲み物

由来・理由

1885年(明治18年)7月16日、大宮〜宇都宮間の鉄道(日本鉄道東北線)が開通した日に合わせ、宇都宮駅で旅館「白木屋」が日本初の駅弁を発売した日に由来する。最初の駅弁は梅干し入りのにぎり飯2個とたくあん2切れを竹の皮で包んだもので、価格は5銭だった。なお発売した人物名については資料により表記が異なり、確定した情報はない。

雑学・小話

日本初の駅弁は、発売当初「5銭は高い」と不評だったともいわれる。当時の米1升がおよそ4〜5銭の時代であり、にぎり飯2個とたくあんにその値段を払う旅客は多くなかった。しかし鉄道網の拡大とともに旅行者が増え、駅弁は次第に各地へ広まっていく。 1889年(明治22年)には姫路駅で幕の内弁当(折詰弁当)が登場した。白米飯に肉・魚・かまぼこ・漬け物などを詰め合わせたもので、これが「駅弁らしい駅弁」の原型となった。 やがて各駅は地域の食材や調理法を生かした「ご当地駅弁」を競うようになった。現在は全国1,000種類以上の駅弁が存在し、峠の釜めし(群馬)、ますのすし(富山)、牛肉どまん中(山形)など地域の名物として定着している。 なお「駅弁の日」は4月10日にも別に存在する。全国駅弁協調会が語呂合わせで制定したもので、7月16日の「駅弁記念日」とは別の記念日だ。こうして駅弁は2つの記念日を持つほど日本人の旅の文化に深く根ざした存在になっている。

外国人力士の日文化・芸術

由来・理由

1972年(昭和47年)7月16日、大相撲名古屋場所千秋楽で東前頭4枚目の高見山大五郎(本名ジェシー・ジェームス・ワイラニ・クハウルア、米ハワイ準州マウイ島出身、高砂部屋)が13勝2敗の成績で優勝し、外国人力士として史上初の幕内最高優勝を遂げた日に由来する。

雑学・小話

1972年の名古屋場所は上位陣に休場が相次いだ場所だった。唯一の横綱・北の富士、大関・大麒麟、関脇・三重ノ海がそろって休場するなか、高見山は大関・清国や後の横綱・北の湖らを破って白星を重ね、10日目に敗れて2敗目を喫したものの11日目から5連勝。千秋楽に旭国を下して13勝2敗とし、全力士の中でただ一人の好成績で初優勝を果たした。 表彰式では当時のニクソン米大統領からの祝電が駐日アメリカ大使によって読み上げられ、大相撲の表彰式で英語が公式に使われた最初の例になったとされる。高見山は感涙したと伝えられる。 高見山はハワイ準州マウイ島で生まれ、高校時代にフットボールのコーチから相撲を勧められたのがきっかけで角界入りしたとされる。高砂部屋のスカウトを受けて来日し、1964年3月に初土俵を踏んだ。優勝翌場所となる同年9月の秋場所では、外国出身力士として初めて関脇(西張出)に昇進した。幕内在位は16年・97場所に及び、当時の大相撲最長記録だった。 1984年(昭和59年)5月場所で現役を引退した後は年寄・東関を襲名し、1986年2月には外国出身力士として初めて自身の相撲部屋「東関部屋」を創設。後進の指導にあたり、1993年に外国出身力士として初めて横綱に昇進した曙をはじめ、数々の力士を育てた。現在の大相撲は外国出身力士が横綱・大関を長く占める国際色豊かな時代になったが、そのすべての先駆けとなったのが1972年7月16日の高見山の優勝だった。

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虹の日自然・環境

制定:デザイナーの山内康弘

由来・理由

7月16日を「7(なな)16(いろ)=七色(ナナイロ)=虹」と読む語呂合わせと、梅雨明けのこの時期に空に虹が現れやすいことを理由に、デザイナーの山内康弘が制定した記念日。日本記念日協会に登録されており、「人と人、人と自然、世代と世代が七色の虹のように結びつく日」と定義されている。

雑学・小話

虹は空気中の水滴が太陽光を屈折・反射・分散させることで生まれる自然現象だ。光は水滴の中で波長ごとに異なる角度に屈折し、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の7色のグラデーションとして空に弧を描く。ただし実際には連続したスペクトルであり、7色に明確な境界はない。「7色」という区分は文化的・言語的な慣習だ。 日本では古来より虹を7色と数えるが、英語圏では indigo(藍色)を省いた6色とする説もある。それほど虹の「色数」は見る文化によって異なる。 世界中の神話に虹は「橋」として登場する。北欧神話ではビフロスト(Bifröst)と呼ばれる神と人間の世界をつなぐ虹の橋が描かれる。旧約聖書ではノアの洪水の後に神が結んだ契約の証として虹が現れる。虹を「天と地をつなぐ橋」として神聖視する語り伝えは、東西を問わず人類に共通する感覚といえる。 梅雨明けの7月、俄か雨の後の青空に大きな虹が架かることがある。そんな夏の空を見上げながら、人とのつながりを思う日として虹の日は制定された。

からしの日食べ物・飲み物

制定:日本からし協同組合(2017年)

由来・理由

1957年(昭和32年)7月16日、日本からし協同組合の前身にあたる「全国辛子粉工業協同組合」が成立した日に由来する。同組合は同年6月25日に全国のからし粉製造業者が発起・設立され、7月16日付で組合として正式に認可・成立した。1999年(平成11年)に現在の「日本からし協同組合」へ改称し、成立60周年にあたる2017年(平成29年)にこの日を「からしの日」として制定、日本記念日協会に認定・登録された。からしの認知度向上と新しい食べ方の提案・普及が目的である。

雑学・小話

からし(芥子・辛子)はアブラナ科のカラシナの種子を粉砕して作る香辛料だ。日本で一般的な「和がらし」は黒または褐色の種子を使い、ツーンと鼻に抜ける強い辛味が特徴。一方、欧米の「マスタード(洋がらし)」は主に白〜黄色の種子を使い、酢や砂糖を加えてまろやかな風味に仕上げてある。同じ「からし」でも系統が大きく異なる。 和がらしの辛味成分はシニグリンという配糖体が酵素の働きで分解されたアリルイソチオシアネートによるもので、揮発性が高く加熱すると辛味が飛んでしまう。だからこそ、おでんや蒸し豚など温かい料理に添えるからしは直前に溶いて使うのが基本だ。 からしが日本に伝わったのは古く、奈良時代(8世紀)の記録にも薬味としての利用が記されている。江戸時代には薬や調味料として庶民に広く親しまれた。熊本の郷土料理「からし蓮根」もその一例で、1632年頃、病弱だった肥後熊本藩主・細川忠利のために賄い方の平五郎が栄養食として考案したのが始まりとされ、現在も発祥の店「森からし蓮根」の名で伝えられている。現代では練りがらし・粉がらし・粒マスタードなど多様な形態で販売されており、おでん・寿司・納豆など幅広い料理の名脇役を担っている。 全国辛子粉工業協同組合は、原料となるからし種子の多くを輸入に頼る状況の中、安定した調達を共同購入で実現しようと、全国の製造業者が結集して1957年に設立された。後身の日本からし協同組合は現在も普及啓発活動を続けており、2024年にはからしの魅力を発信する公式サイトを開設するなど、新しい食べ方の提案にも力を入れている。からしの日はその歴史を振り返り、日本の食卓を支えてきた身近なスパイスの価値を再認識する日だ。

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