6月2日の記念日
裏切りの日
カテゴリ
文化・芸術
由来・理由
1582年(天正10年)旧暦6月2日、明智光秀が主君・織田信長を京都の本能寺に急襲した「本能寺の変」が起きた日。家臣による主君への謀反という「裏切り」の象徴的事件として、この日が「裏切りの日」と呼ばれるようになった。
雑学・小話
本能寺の変は、天下統一目前だった織田信長が腹心の家臣・明智光秀に攻められ、火中で自害したとされる日本史上最大の謀反事件。光秀の動機については「怨恨説」「野望説」「四国説」「黒幕説」など数十の説が存在し、440年以上経った現在も完全には解明されていない。「敵は本能寺にあり」という言葉は当時の史料には存在せず、後世の創作とされるが、事件の衝撃を物語る言葉として広く定着した。信長の死の報を聞いた羽柴秀吉(豊臣秀吉)は「中国大返し」で電光石火に戻り、わずか11日後の山崎の戦いで光秀を討った。光秀の天下は「三日天下」と呼ばれる。この事件により信長の覇業を引き継いだ秀吉が台頭し、戦国乱世の終焉へと繋がった。近年の大河ドラマや小説で光秀を主人公にした作品が増え、謀反の謎を巡る議論は今も続いている。
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