8月1日は何の日?
4件の記念日があります
制定:帝国ホテル(2008年)
由来・理由
1958年(昭和33年)8月1日、東京・帝国ホテルに日本初の食べ放題スタイルレストラン「インペリアルバイキング」がオープンしたことに由来する。前年の1957年、帝国ホテル社長・犬丸徹三がデンマーク・コペンハーゲン視察で北欧の伝統料理「スモーガスボード」に出会い、当時パリのホテル・リッツで研修中だった若手シェフ・村上信夫(のちの帝国ホテル総料理長)に研究を命じたことが開業の直接のきっかけとなった。レストラン名は、同年6月に米国で公開され話題となっていた海賊映画「バイキング」(原題The Vikings、主演カーク・ダグラス。日本公開は同年9月)のイメージにちなんで名付けられ、この言葉が「食べ放題」を指す日本語として定着した。誕生50周年にあたる2008年、帝国ホテルがオープン記念日の8月1日を「バイキングの日」と制定した。
雑学・小話
帝国ホテル社長・犬丸徹三は、1957年にデンマーク・コペンハーゲンを訪れた際、北欧の伝統的な料理形式「スモーガスボード」(好きな料理を大皿から自由に取り分けるビュッフェ形式)に触れて感銘を受けた。帰国後、犬丸はフランス・パリのホテル・リッツで研修中だった村上信夫(1921〜2005、のちの帝国ホテル第11代料理長・初代総料理長)にスモーガスボードの研究を指示し、日本向けにアレンジしたビュッフェレストランの開業を任せた。こうして1958年8月1日に開業したのが「インペリアルバイキング」で、昼食1,200円・夕食1,500円という価格設定ながら、和洋中の料理を好きなだけ取り分けられる目新しさが話題を呼び、週刊誌などでも報じられて連日長い行列ができるほどの人気を博した。 レストラン名の「バイキング」は、同年6月に米国で公開され話題となっていた海賊映画「バイキング」(The Vikings、主演カーク・ダグラス。日本公開は同年9月)の勇壮なイメージと、北欧発祥のスタイルであることを結びつけて名付けられたとされる。「バイキング=食べ放題」という使い方は日本語の造語であり、英語では「buffet(ビュッフェ)」や「all-you-can-eat」と言う。外国人旅行者が「I had Viking for lunch.」と言っても通じないが、これは日本語特有の言葉として完全に定着している。高度経済成長期、「好きなものを好きなだけ食べられる」という体験は「豊かさの象徴」として多くの日本人の心に刻まれ、ホテル・回転寿司・ファミレスなど様々な業態に「食べ放題」の概念が広まった。現在、日本の食べ放題文化は質の高さでも世界から注目されており、高級素材を惜しみなく提供するビュッフェ形式の店は訪日外国人にも人気が高い。
バイキングの日の単独ページを見る →制定:沖縄県パイン・果樹生産振興対策協議会(1990年)
由来・理由
「パ(8)イ(1)ン」の語呂合わせに由来し、沖縄県パイン・果樹生産振興対策協議会が1990年(平成2年)に制定した。8月はパイナップルの収穫・出荷が最盛期を迎える時期であり、8月1日から31日までを「パイン消費拡大月間」と位置づけ、国産パインの消費拡大と産地・沖縄のPRを目的として設けられた。
雑学・小話
パイナップルは熱帯・亜熱帯原産のフルーツで、日本本土では栽培が難しく、農林水産省の統計でも国産のほぼ全量が沖縄産だ。沖縄への伝来は1866年(慶応2年)、石垣島沖で座礁したオランダ船から流れ着いた苗が川平湾付近で島民に育てられたのが始まりとされる。1930年に台湾から苗が持ち込まれた後、1935年(昭和10年)には日中戦争前の情勢悪化で台湾での栽培が難しくなった農家約50戸が種苗とともに石垣島へ集団移住し、缶詰会社「大同拓殖」を設立。1938年、この地で国産初のパイナップル缶詰約500ケースが製造・出荷された。パイナップル栽培は手間のかかる農業でもある。同じ株から収穫できるのは通常、最初に実る「一番果」と、そこから伸びる芽が結実する「二番果」の2回までで、その後は新しい子株を育てて栽培を続ける。酸性の赤土壌と高温多湿な気候が栽培条件に適した沖縄本島北部・石垣島・西表島などに産地が限られ、県内最大の産地である本島北部の東村では約180戸の農家が栽培を担う。台湾産・フィリピン産の輸入品との価格競争も厳しい中、沖縄の農家は品質向上とドライフルーツ・酵素ドリンク・焼き菓子など加工品開発による6次産業化で付加価値を高める取り組みを続けており、ゴーヤと並ぶ「沖縄を代表する食材」として定着している。
- パインの日(8月1日)|意味や由来 - PR TIMES MAGAZINE
- パイナップルが缶詰になった理由とは?石垣島を舞台にした南国フルーツの歴史 - CBC MAGAZINE
- 東村の特産品はパイナップル - 沖縄北部観光ガイド
制定:日本政府(1977年)
由来・理由
年間を通じて水の使用量が最も多くなる8月の初日を「水の日」として、日本政府が1977年(昭和52年)の閣議了解により制定した。この日から1週間(8月1〜7日)を「水の週間」とし、節水への意識向上と水資源の大切さを訴えることを目的とする。2014年(平成26年)の水循環基本法により法的に明文化された。
雑学・小話
日本は年間降水量が約1,700mmと世界平均の約2倍に達するが、急峻な地形で雨水が短時間で海へ流出し、人口密度も高いため、一人当たりが利用できる水資源量は世界平均のおよそ半分にとどまると国土交通省は試算している。夏場には水道・農業・工業用水の需要が一斉にピークを迎える。1994年(平成6年)には記録的な渇水が発生し、北九州・福岡都市圏をはじめ全国各地で長期にわたる断水・給水制限が続いた。この経験は水インフラの脆弱性を国民に実感させる出来事となった。2014年に全会一致で成立した水循環基本法は、河川・地下水・雨水・下水など水の循環を一体として管理する政策の転換を促した超党派立法だ。これにより水循環政策本部が設置され、本部長は内閣総理大臣が務める。近年も少雨による渇水は相次いでおり、2025年7月30日には8年ぶりに国土交通省渇水対策本部が設置され、農業用水の取水制限が続く地域も出るなど、同年10月の解散まで対応が続いた。また、輸入する食料や衣料品の生産に使われた水を推計する「バーチャルウォーター(仮想水)」の輸入量は、環境省などの試算で国内の年間水使用量に匹敵する規模にのぼるとされ、日本は水資源の多くを海外に依存しているとの指摘もある。「水の週間」中は全国各地でブルーライトアップや節水啓発イベントが開催されるほか、国連が定める「世界水の日」(3月22日)とは別の、日本独自の取り組みとして位置づけられている。
水の日の単独ページを見る →由来・理由
1948年(昭和23年)8月1日にGHQによる花火の製造・販売・大会開催の禁止が解除されたこと、1955年8月1日に東京・本所厩橋で花火爆発事故が起きた追悼、教祖祭PL花火芸術の開催日が8月1日であることの3つを兼ねて、1967年(昭和42年)に「花火の日」として制定された。
雑学・小話
日本の花火の歴史は江戸時代にさかのぼる。1733年(享保18年)に隅田川の両国橋付近で行われた川開き花火が「江戸の花火」の原型とされ、以来、夏の夜を彩る花火大会は全国に広まっていった。明治以降は職人たちが技術を競い、「尺玉」「スターマイン」など多彩な玉種が生み出された。 太平洋戦争が激しくなると、火薬が軍需物資として管理されたため民間の花火製造・販売は禁止される。終戦後もGHQの管理下では解禁まで時間がかかり、1948年8月1日にようやく自由化された。翌年以降、全国各地で花火大会が次々と復活し、夏の花火は戦後の平和と復興の象徴として人々に親しまれるようになった。 現在、日本全国で年間約1万件以上の花火大会が開催されるとされ、打ち上げ数・観客数ともに世界有数の「花火大国」となっている。日本の花火師が生み出す「和火(わびや)」と呼ばれる独特の色調と技術は世界的に高く評価されており、職人の技の継承が行われている。