8月1日は何の日?
4件の記念日があります
制定:帝国ホテル(2008年)
由来・理由
1958年(昭和33年)8月1日、東京・帝国ホテルに日本初の食べ放題スタイルレストラン「インペリアルバイキング」がオープンしたことに由来。料理長が映画「バイキング」(1958年公開、主演カーク・ダグラス)にちなんで「バイキング」と命名したことで、この言葉が日本語に定着した。誕生50周年にあたる2008年、帝国ホテルがオープン記念日の8月1日を「バイキングの日」と制定した。
雑学・小話
帝国ホテルの料理長・村上信夫が北欧視察でスモーガスボード(ビュッフェ形式)に感銘を受け、日本向けにアレンジして「インペリアルバイキング」を開業した。当時上映中だった映画「バイキング」の豪快なイメージと自由に食べ選ぶスタイルを結びつけて命名した。「バイキング=食べ放題」という使い方は日本語の造語であり、英語では「buffet(ビュッフェ)」や「all-you-can-eat」と言う。外国人旅行者が「I had Viking for lunch.」と言っても通じないが、これは日本語特有の言葉として完全に定着している。高度経済成長期、「好きなものを好きなだけ食べられる」という体験は「豊かさの象徴」として多くの日本人の心に刻まれ、ホテル・回転寿司・ファミレスなど様々な業態に「食べ放題」の概念が広まった。現在、日本の食べ放題文化は質の高さでも世界から注目されており、高級素材を惜しみなく提供するビュッフェ形式の店は訪日外国人にも人気が高い。
バイキングの日の単独ページを見る →制定:沖縄県パイン・果樹生産振興対策協議会(1990年)
由来・理由
「パ(8)イ(1)ン」の語呂合わせに由来し、沖縄県パイン・果樹生産振興対策協議会が1990年(平成2年)に制定した。8月はパイナップルの収穫・出荷が最盛期を迎える時期であり、国産パインの消費拡大と産地・沖縄のPRを目的として設けられた。
雑学・小話
パイナップルは熱帯・亜熱帯原産のフルーツで、日本本土では栽培が難しく、国産品のほぼ100%が沖縄産だ。沖縄へのパインの伝来は1866年(慶応2年)にさかのぼる。石垣島沖で座礁したオランダ船から流れ着いた苗が島民に育てられたのが始まりとされる。その後、1935年(昭和10年)に台湾からパイン農家が石垣島へ集団移住して本格的な栽培が始まり、1938年には国産初のパイン缶詰が石垣島で製造・出荷された。 パイナップル栽培は手間のかかる農業で知られる。1株から最初に実る「一番果」、そこから伸びる芽が結実する「二番果」を含めても、1株から収穫できるのは通常2〜3果。高温と強い日差しが必要な沖縄の気候が国産栽培を支えているが、台湾産・フィリピン産の輸入品との価格競争も厳しく、沖縄の農家は品質向上と6次産業化(加工・販売)で付加価値を高める取り組みを続けている。 近年はドライフルーツ・酵素ドリンク・焼き菓子など沖縄土産として国産パインを使った商品が多様化しており、ゴーヤと並ぶ「沖縄を代表する食材」として定着している。
パインの日の単独ページを見る →制定:日本政府(1977年)
由来・理由
年間を通じて水の使用量が最も多くなる8月の初日を「水の日」として、日本政府が1977年(昭和52年)の閣議了解により制定した。この日から1週間(8月1〜7日)を「水の週間」とし、節水への意識向上と水資源の大切さを訴えることを目的とする。2014年(平成26年)の水循環基本法により法的に明文化された。
雑学・小話
日本は年間降水量が約1,700mmと世界平均の約2倍に達するが、急峻な地形で雨水が短時間で海へ流出するため、実際に一人あたりが利用できる水量は世界平均の約45%にとどまると試算されている。人口密度が高い都市部への集中が水需要をさらに高め、夏場には水道・農業・工業用水の需要が一斉にピークを迎える。 1994年(平成6年)には記録的な渇水が発生し、北九州・福岡都市圏をはじめ全国各地で長期にわたる断水・給水制限が続いた。この経験は水インフラの脆弱性を国民に実感させる出来事となった。 2014年に全会一致で成立した水循環基本法は、河川・地下水・雨水・下水など水の循環を一体として管理する政策の転換を促した超党派立法だ。これにより水循環政策本部が設置され、本部長は内閣総理大臣が務める。「水の週間」中は全国各地でブルーライトアップや節水啓発イベントが開催されるほか、国連が定める「世界水の日」(3月22日)とは別の、日本独自の取り組みとして位置づけられている。
水の日の単独ページを見る →由来・理由
1948年(昭和23年)8月1日にGHQによる花火の製造・販売・大会開催の禁止が解除されたこと、1955年8月1日に東京・本所厩橋で花火爆発事故が起きた追悼、教祖祭PL花火芸術の開催日が8月1日であることの3つを兼ねて、1967年(昭和42年)に「花火の日」として制定された。
雑学・小話
日本の花火の歴史は江戸時代にさかのぼる。1733年(享保18年)に隅田川の両国橋付近で行われた川開き花火が「江戸の花火」の原型とされ、以来、夏の夜を彩る花火大会は全国に広まっていった。明治以降は職人たちが技術を競い、「尺玉」「スターマイン」など多彩な玉種が生み出された。 太平洋戦争が激しくなると、火薬が軍需物資として管理されたため民間の花火製造・販売は禁止される。終戦後もGHQの管理下では解禁まで時間がかかり、1948年8月1日にようやく自由化された。翌年以降、全国各地で花火大会が次々と復活し、夏の花火は戦後の平和と復興の象徴として人々に親しまれるようになった。 現在、日本全国で年間約1万件以上の花火大会が開催されるとされ、打ち上げ数・観客数ともに世界有数の「花火大国」となっている。日本の花火師が生み出す「和火(わびや)」と呼ばれる独特の色調と技術は世界的に高く評価されており、職人の技の継承が行われている。