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8月4日は何の日?

4件の記念日があります

箸の日食べ物・飲み物

制定:藤本商會本店(2014年)

由来・理由

「は(8)し(4)」の語呂合わせにちなむ記念日である。「箸を正しく使おう」という民俗学研究者の提唱を受け、わりばし組合が1975年(昭和50年)に制定したのが始まりとされる。その後、大正5年(1916年)創業の割り箸卸売会社・藤本商會本店(名古屋市)がこの日を記念日として改めて制定し、2014年(平成26年)に日本記念日協会により認定・登録された。同じ「はし」の語呂合わせから、塗り箸の主産地である福井県小浜市も独自に記念日を定めている。

雑学・小話

箸の起源は中国にあり、殷代の遺跡・殷墟からは約3,400年前の青銅製の箸が出土しているが、これは祖先への供え物用の礼器であり、日常の食事道具として広まったのは後の時代とされる。日本には遣隋使を通じて6〜7世紀に伝来したとされ、聖徳太子が朝廷の饗宴で箸食作法を採用したという説が広く伝えられているが、これは史料の裏付けが乏しい伝承の域を出ない点には留意が必要である。 日本の箸文化は中国・韓国・ベトナムなどと並ぶ「箸食文化圏」の一員だが、日本の箸には独自の特徴がある。先端が細く尖っていること、比較的短いこと、漆塗りや木工芸が発達したことなどが日本式の特徴だ。中国の箸は長く太め、韓国は金属製が多いなど各国でスタイルが異なる。中でも福井県小浜市の「若狭塗箸」は、江戸時代前期に小浜藩の塗師が考案したとされる伝統工芸品で、貝殻や卵殻を漆で塗り込め研ぎ出す技法により海底を思わせる模様を表現し、現在も国内の塗り箸生産の8割以上を占める主要産地となっている。 割り箸は江戸時代に外食文化が広まるとともに普及し、輸入・消費量は2005年前後に年間250億膳規模でピークを迎えたが、安価な輸入品への依存低下や国内需要の縮小により、近年は年間140億膳前後まで減少している(林野庁調査・財務省貿易統計より)。間伐材の有効活用という側面もあるが、環境負荷を懸念してマイ箸を持ち歩く習慣も近年広まっている。東京・赤坂の日枝神社では例年8月4日に「箸感謝祭」が営まれ、参列者が使い古した箸を持ち寄って焚き上げ、感謝と供養を捧げる。「箸の使い方は人柄を表す」とも言われ、食育の観点からも重視される文化だ。

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ビヤホールの日文化・芸術

制定:株式会社サッポロライオン(1999年)

由来・理由

1899年(明治32年)8月4日、東京・銀座に日本初のビアホール「恵比壽ビヤホール」が開業したことを記念して、株式会社サッポロライオンが創業100周年にあたる1999年(平成11年)に制定した。発案者は当時の日本麦酒株式会社社長・馬越恭平で、居留外国人の助言を受けて構想したとされる。

雑学・小話

恵比壽ビヤホールは、日本麦酒醸造会社(現・サッポロビール)が東京・銀座8丁目(当時の京橋区南金六町、新橋から銀座通りに入ってすぐ右手)に開いた日本初のビアホールで、開業当日は大勢の客が押し寄せるほどの盛況だったとされる。煉瓦造り2階建ての建物の2階(35坪)を間借りし、床はリノリウム張り、椅子やテーブルはビール樽材で作られるなど、当時としては極めてモダンな内装だった。ビール500mlが10銭で販売され、連日「売切れ」の立札を出すほど繁盛し、1日の来客数は平均800人に達したとされる。当時の日本ではビールはまだ高価な輸入品が主流だったが、国産ビールを手頃な値段で楽しめる場として庶民にも喜ばれた。 恵比壽ビヤホールの後身にあたる「銀座ライオン」(現・ビヤホールライオン銀座七丁目店)は現在も営業を続けており、大日本麦酒本社ビルとして1934年(昭和9年)に竣工したオリジナルの建物を維持している。戦災をくぐり抜けて当時の内装をほぼそのまま今に伝えており、2022年に国の登録有形文化財(建造物)に指定された。館内正面に描かれた、ビール大麦を収穫する女性たちを描いた縦2.75メートル・横5.75メートルの巨大なガラスモザイク壁画は、ビヤホール文化の生きた遺産として愛されている。日本のビヤホール文化はその後全国に広まり、夏の風物詩として定着した。

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栄養の日健康・医療

制定:公益社団法人日本栄養士会(2016年)

由来・理由

「えい(8)よう(4)」の語呂合わせにちなみ、公益社団法人日本栄養士会が2016年(平成28年)に制定。8月1日〜7日の「栄養週間」の期間中にあたる8月4日を「栄養の日」と定め、正しい栄養の知識を普及し国民の健康増進を図ることを目的としている。

雑学・小話

日本では戦後の食糧難を経て、栄養不足の解消が長らく国民的課題だった。1947年(昭和22年)に栄養士法が制定されて栄養士の資格が誕生し、1962年(昭和37年)には管理栄養士制度が創設されるなど、栄養の専門職を軸にした健康増進の体制が整備されてきた。日本栄養士会の前身にあたる大日本栄養士会は1945年に設立され、1959年に法人化されている。現代では栄養不足よりも「栄養の偏り」が課題となっており、生活習慣病(糖尿病・高血圧・肥満)の予防に食事指導の重要性が増している。 「栄養の日・栄養週間」は管理栄養士・栄養士の社会啓発活動の場として、全国各地でイベントが開催される。毎年テーマが設定されており、2022年は「サステナブルに食べる」、2024年は「口と栄養の“おいしい”関係」がテーマとなった。2022年には全国から集まった2,004件のSNS投稿を1枚のメッセージアートに集約する企画も実施された。スーパーや医療機関での栄養相談、学校での食育授業、SNSを通じた健康レシピ発信など、活動形式も多様化している。日本栄養士会の会員は管理栄養士・栄養士を中心に7万人を超える規模にのぼるという(2026年8月時点)。管理栄養士は現在、医療・介護・学校・企業・行政など幅広い分野で活躍しており、チーム医療の一員としての役割も高まっている。

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橋の日社会・国際

制定:宮崎「橋の日」実行委員会(1986年)

由来・理由

「は(8)し(4)」の語呂合わせにちなむ記念日。1985年(昭和60年)に宮崎市在住・延岡市出身の湯浅利彦氏が提唱し、翌1986年(昭和61年)8月4日、延岡市の五ヶ瀬川に架かる安賀多橋で第1回イベントが開催されたのが始まりとされる。1987年(昭和62年)には宮崎「橋の日」実行委員会が発足し、身近な橋を点検・清掃し、橋への感謝と大切さを見直す機会として全国に広まった記念日。

雑学・小話

提唱者の湯浅利彦氏は橋梁に携わる仕事の経験から「橋の日」を発案したと伝えられる。「橋とのふれあいを通して橋の役割に思いを馳せ、感謝の気持ちを持つことで、故郷を愛する心を育てたい」という思いが活動の原点だという。 第1回イベントの舞台となった安賀多橋には「命の橋」という別名がある。太平洋戦争末期の延岡空襲で市街地中心部が焼け野原となった際、多くの市民がこの橋の下に逃げ込んで難を逃れたとされ、地域の記憶を伝える橋として今も語り継がれている。 活動は宮崎県内にとどまらず全国へ広がり、2015年(平成27年)には全国47都道府県で「橋の日」にちなむ催しが行われるまでになった。宮崎「橋の日」実行委員会は現在も清掃活動やパネル展、写真展、作文コンクールなどを通じて橋への関心を呼びかけている。 橋は交通・物流・地域連携を支える一方、老朽化が課題にもなっている。国土交通省によると、道路橋(橋長2メートル以上、全国約73万橋)のうち建設後50年以上経過するものの割合は2023年3月時点で約37%、2040年3月には約75%に達する見込みで、点検・修繕の重要性が指摘されている。 日本を代表する橋のひとつが明石海峡大橋だ。全長3,911.1メートルの吊り橋で1998年4月5日に開通し、兵庫県神戸市と淡路島(淡路市)を明石海峡を挟んで結んでいる。橋はしばしば「つながり」の象徴として語られ、人と人・地域と地域を結ぶ役割をその名に宿している。

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