6月7日の記念日
母親大会記念日
カテゴリ
社会・国際制定:日本母親大会
由来・理由
1955年(昭和30年)6月7日、東京・豊島公会堂で第1回日本母親大会が約2,000人の参加で開催されたことに由来。1954年のビキニ環礁水爆実験をきっかけに、平塚らいてうらが「生命を守る」ことを訴え起ち上げた。スローガンは「生命を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」。
雑学・小話
1954年3月1日、太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水素爆弾実験により、マグロ漁船「第五福竜丸」が死の灰(放射性降下物)を浴び、乗組員23名が被曝した。この事件は日本社会に大きな衝撃を与え、全国的な原水爆禁止運動の波が広がった。平塚らいてうは「元始、女性は太陽であった」の宣言で知られる女性解放運動の先駆者で、1955年には70代となっていたが女性たちを結集し、世界初の被爆国の女性として平和を訴えた。この大会では単に政治的なメッセージだけでなく、「嫁をもらう」を「結婚する」に、「主人」を「夫」と言い換えようという提案もなされ、言葉の平等性を日常から変えようとする先進的な意識を示した。毎年開催される大会は今日まで継続しており、子育て・教育・平和・女性の権利など時代に応じたテーマを取り上げ、参加者が学び合う場として機能している。
平和女性母親平塚らいてう核廃絶社会運動