10月11日の記念日
一草忌
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由来・理由
1940年(昭和15年)10月11日未明、五・七・五の定型や季語にとらわれない自由律俳句で知られた俳人・種田山頭火が、終焉の地となった愛媛県松山市の庵「一草庵」で脳出血(脳溢血)のため57歳で逝去した(心臓麻痺による死とする説もある)。その庵の名にちなみ、忌日は「一草忌」と呼ばれる。
雑学・小話
種田山頭火は本名を種田正一といい、1882年(明治15年)に山口県(現在の防府市)に生まれた。若くして生家の破産や離婚といった苦難を経験したのち出家し、鉄鉢と網代笠を携えて各地を歩き続ける「行乞(ぎょうこつ)」の旅を続けたとされる。代表句「分け入っても分け入っても青い山」は、この放浪の旅の中で詠まれた句のひとつとして広く知られる。生涯に詠んだ句はおよそ1万2千句と伝えられ、代表的な句をまとめた自選句集『草木塔』は、それまでの句集を集大成したもので、山頭火が没した1940年に刊行された。 放浪の後半生では、1932年(昭和7年)に山口県小郡町の「其中庵」に定住するなど各地に草庵を結んだのち、1939年(昭和14年)12月15日、友人の俳人・高橋一洵の世話で松山市の御幸寺境内に「一草庵」を構えた。移り住んだ際、山頭火は一洵への感謝を込めて「おちついて死ねさうな草枯るる」の句を贈った。翌1940年3月には、季語だけを変えて「おちついて死ねそうな草萌ゆる」と詠み直しており、その心境は日記に記録されている。 一草庵での在庵はおよそ10か月に及んだが、1940年10月11日未明、山頭火はこの庵で生涯を閉じた。現在の建物は1952年(昭和27年)に建てられたもので、2009年(平成21年)に改修工事が行われている。境内には山頭火の句を刻んだ句碑が建立されており、命日の10月11日前後には、ゆかりの地でしのぶ会が開かれることもあるとされる。
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